昨日の大河ドラマ「江」は江の夫・羽柴秀勝の朝鮮出陣と朝鮮・唐島での死の話でした。秀勝は家臣が朝鮮の民を斬りつけようとしたのをかばって、家臣に斬られてしまったことが元で死んでしまったと描かれていました。
新人物往来社が平成20年に出版した別冊歴史読本『太閤秀吉と豊臣一族』の「三人の秀勝」という章を読むと全く異なる死因が書かれています。次のような文章です。
「朝鮮の役では、文禄元年(一五九二)六月に第九陣の将として、三千の兵を率いて朝鮮に渡るのだが、戦の方は補佐役の細川忠興にまかせきりで、自分はもっぱら女漁りに狂奔した。結果は最も悲惨なかたちで現れることになった。
その年の九月九日、小吉秀勝は梅毒に脳を冒され、朝鮮の唐島で儚くなった。二十四歳だった」
ずいぶん違う死に方です。このような死に方を大河ドラマ「江」が放送できるわけも無く、昨日のような描き方に演出したのだと思います。
とはいえ、この新人物往来社に書かれていることは本当なのでしょうか?
私は極めて信憑性が低いとみています。その理由は次のとおりです。
1.裏付け史料が明記されていない。
日本史の本では史実の如くに書かれた内容の出典を明記していないものが多いです。明智光秀が朝倉義景に仕えていたとあたかも史実の如くにあちこちに書かれていますが、その出典が悪書『明智軍記』であることを書いたものはありません。羽柴秀吉の中国大返しのスタート日を六月六日とあたかも史実の如くにあちこちに書かれていますが、その出典が秀吉自身が書かせた『惟任退治記』であることを書いたものもありません。
この秀勝の死の話も出典が書かれていません。おそらく極めて怪しげな元ネタでしょう。
2.書いた人は小説家である。
岩井護という人が書いていますが、この人は小説家のようです。司馬遼太郎のような著名な小説家であっても小説家は歴史の真実の探求者ではありません。歴史を題材として自分の描きたい人物像なり人生劇を描いて読者に感動を与えることを追究している存在です。したがって、基本的に真実が書かれる可能性はほとんどありません。
(こう言い切ってしまった自分に少し驚いて躊躇するところがありましたが、もう一度考え直してみても確信があります)
★ WIKIPEDIA「岩井護」記事
★ amazon「岩井護」作品一覧
3.秀吉が殺した三兄弟である。
秀次・秀勝・秀保の三兄弟は不遇な死をとげており、いずれも死因は怪しげな話が流されている。秀吉の言論統制下で意図的に秀吉に都合の良い話が流された可能性が高い。
★ 羽柴秀勝登場:秀次・秀勝・秀保の不可解な死
★ 関白秀次切腹事件の捜査開始
さて、おそらく大河ドラマ「江」での秀勝の死に方は脚本家や演出家の都合のよい創作だという批判が起きるでしょう。でも、そうではないといえる史実は明らかではありません。私は史実の如くに新人物往来社の雑誌が書いた話よりも大河ドラマ「江」の話の方が真実に近いように思えてなりません。
秀吉の朝鮮侵略に何らかの形で反対したことによって秀吉によって抹殺され、汚名を着せられた秀次・秀勝・秀保の不遇な三兄弟という思いがします。いずれ歴史捜査で裏付けを固めたいと思いますので、参考になる情報がありましたらお知らせください。
★ 歴史捜査25:朝鮮出兵
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信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
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「朝鮮の役では、文禄元年(一五九二)六月に第九陣の将として、三千の兵を率いて朝鮮に渡るのだが、戦の方は補佐役の細川忠興にまかせきりで、自分はもっぱら女漁りに狂奔した。結果は最も悲惨なかたちで現れることになった。
その年の九月九日、小吉秀勝は梅毒に脳を冒され、朝鮮の唐島で儚くなった。二十四歳だった」
ずいぶん違う死に方です。このような死に方を大河ドラマ「江」が放送できるわけも無く、昨日のような描き方に演出したのだと思います。
とはいえ、この新人物往来社に書かれていることは本当なのでしょうか?
私は極めて信憑性が低いとみています。その理由は次のとおりです。
1.裏付け史料が明記されていない。
日本史の本では史実の如くに書かれた内容の出典を明記していないものが多いです。明智光秀が朝倉義景に仕えていたとあたかも史実の如くにあちこちに書かれていますが、その出典が悪書『明智軍記』であることを書いたものはありません。羽柴秀吉の中国大返しのスタート日を六月六日とあたかも史実の如くにあちこちに書かれていますが、その出典が秀吉自身が書かせた『惟任退治記』であることを書いたものもありません。
この秀勝の死の話も出典が書かれていません。おそらく極めて怪しげな元ネタでしょう。
2.書いた人は小説家である。
岩井護という人が書いていますが、この人は小説家のようです。司馬遼太郎のような著名な小説家であっても小説家は歴史の真実の探求者ではありません。歴史を題材として自分の描きたい人物像なり人生劇を描いて読者に感動を与えることを追究している存在です。したがって、基本的に真実が書かれる可能性はほとんどありません。
(こう言い切ってしまった自分に少し驚いて躊躇するところがありましたが、もう一度考え直してみても確信があります)
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3.秀吉が殺した三兄弟である。
秀次・秀勝・秀保の三兄弟は不遇な死をとげており、いずれも死因は怪しげな話が流されている。秀吉の言論統制下で意図的に秀吉に都合の良い話が流された可能性が高い。
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さて、おそらく大河ドラマ「江」での秀勝の死に方は脚本家や演出家の都合のよい創作だという批判が起きるでしょう。でも、そうではないといえる史実は明らかではありません。私は史実の如くに新人物往来社の雑誌が書いた話よりも大河ドラマ「江」の話の方が真実に近いように思えてなりません。
秀吉の朝鮮侵略に何らかの形で反対したことによって秀吉によって抹殺され、汚名を着せられた秀次・秀勝・秀保の不遇な三兄弟という思いがします。いずれ歴史捜査で裏付けを固めたいと思いますので、参考になる情報がありましたらお知らせください。
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