先週の大河ドラマ「江」はいよいよ大詰めの山場「大坂夏の陣」でした。大坂城落城と淀君・秀頼はじめとする豊臣一族郎党の最期が描かれていました。私は一族が滅びることの悲惨・悲痛・無念を切々と感じましたが皆様はいかがだったでしょうか。
滅ぼした側の「一族生き残りのためには将来の危険要素は徹底して除去する」という戦国武将の論理もよく描かれていました。これは脚本家がこの番組で一貫して主張してきたことです。そのことを実に見事な場面に創作していました。
豊臣家を滅ぼすと決意していた家康が、それまで豊臣家との共存を主張してきた秀忠に最終決定を委ねます。秀忠は苦悩の末、「豊臣家を滅ぼす」と決断したのです。家康が秀忠に語った「豊臣を滅ぼすのは秀忠のため。平和な世にするためには避けて通れない戦いがある」という言葉が伏線になっていました。秀忠は自分の子・竹千代のためを考えたでしょう。戦国武将の論理というと従来は自分一代の成功の視点でしか描かれてきませんでしたが、「後代の繁栄」を打ち出したのは画期的な前進と評価します。これが戦国武将の実像だと思います。
さて、大坂夏の陣という大きな歴史事件の最中に主人公の江は何をしていたのかというと、ひたすら写経するだけでした。
今回も「主人公が歴史事件にからまない」で終わってしまいました。
★ 「江」は何故面白くないか?
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」(軍記物依存について)
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
滅ぼした側の「一族生き残りのためには将来の危険要素は徹底して除去する」という戦国武将の論理もよく描かれていました。これは脚本家がこの番組で一貫して主張してきたことです。そのことを実に見事な場面に創作していました。
豊臣家を滅ぼすと決意していた家康が、それまで豊臣家との共存を主張してきた秀忠に最終決定を委ねます。秀忠は苦悩の末、「豊臣家を滅ぼす」と決断したのです。家康が秀忠に語った「豊臣を滅ぼすのは秀忠のため。平和な世にするためには避けて通れない戦いがある」という言葉が伏線になっていました。秀忠は自分の子・竹千代のためを考えたでしょう。戦国武将の論理というと従来は自分一代の成功の視点でしか描かれてきませんでしたが、「後代の繁栄」を打ち出したのは画期的な前進と評価します。これが戦国武将の実像だと思います。
さて、大坂夏の陣という大きな歴史事件の最中に主人公の江は何をしていたのかというと、ひたすら写経するだけでした。
今回も「主人公が歴史事件にからまない」で終わってしまいました。
★ 「江」は何故面白くないか?
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」(軍記物依存について)
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
本能寺の変 四二七年目の真実明智 憲三郎プレジデント社このアイテムの詳細を見る |
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
本能寺の変黒幕説 [編集]詳細は「本能寺の変」を参照
本能寺の変が当時豊臣秀吉の参謀であった黒田考高による演出という説が、松平定知などから提唱されている[14]。その根拠として
信長の死後、自らの君主秀吉に、「ご運が巡って参りましたな。これであなたの天下です」と秀吉をそそのかしたこと。
毛利と秀吉との講和をわずか1日でまとめあげた交渉力の高さ
いわゆる「中国大返し」では官兵衛が先回りし、街道で炊き出しや水を準備していた点。
後の豊臣政権の五大老に、毛利輝元と小早川隆景の2人が選ばれている点。
などを挙げている[15]。
その他、黒田は有岡城の戦いの際に「考高(黒田のこと)は敵に寝返った」との流言が流れ、怒った信長が嫡子松壽丸の殺害を部下に命じており、それに対する信長への怨恨を根拠にする説もある。史実では松壽丸は竹中重治が匿っていたため殺害されなかったが[16]、フィクションでは松壽丸は殺害され竹中重治が松壽丸に顔のよく似た子供を連れてきたという説もある
また、秀吉から常に野心の高さを警戒され、豊臣政権下では重職へ就くことがなかったこと、後年、関ヶ原の戦いでは東西両陣営が関ヶ原に集結した隙をつき九州各地を平定した野心の高さなども黒幕説の根拠の一つである。
歴史捜査には証拠とされる逸話の出典史料の信憑性確認、動機の論理性・必然性、信長殺害のプロセス解析が必要ですが、Wikipediaの記述を見る限りでは、私には捜査に乗り出すだけの魅力を感じませんでした。
故實光氏令室にも何度かお会いしましたが、いかにも温厚で素晴らしい方です。
土岐氏については美濃源氏フォーラムのホームページで情報発信されていますがfacebookにも「美濃源氏土岐一族」というグループができています。美濃源氏フォーラムの開催する講座の案内など掲載されていますのでご覧いただければと思います。