昨日の「江」は大坂冬の陣でした。その中に大坂城の出城として真田幸村が築いて守った真田丸の攻防戦が出てきました。ここで幸村が徳川軍を大いに破ったと描かれていました。Wikipediaにもそのように書かれていますが、出典は信憑性のある史料なのでしょうか。ご存知の方は教えてください。
私が気になったのは、寄せ手の徳川軍に見慣れた水色地に白抜きの桔梗紋の旗の軍勢がいたことです。「土岐一族も真田丸攻めに加わった!」
果たしてこれは歴史の捏造なのか信憑性ある話なのか?これもご存知の方は教えてください。
(番組の製作費抑制のため、以前使った明智光秀軍の旗を流用しただけということだと何かわびしい)
★ 土岐氏解説集(土岐氏を知らずして本能寺の変は!)
★ 秀忠から秀頼への書状(歴史の捏造について)
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」(軍記物依存について)
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
私が気になったのは、寄せ手の徳川軍に見慣れた水色地に白抜きの桔梗紋の旗の軍勢がいたことです。「土岐一族も真田丸攻めに加わった!」
果たしてこれは歴史の捏造なのか信憑性ある話なのか?これもご存知の方は教えてください。
(番組の製作費抑制のため、以前使った明智光秀軍の旗を流用しただけということだと何かわびしい)
★ 土岐氏解説集(土岐氏を知らずして本能寺の変は!)
★ 秀忠から秀頼への書状(歴史の捏造について)
★ NHK・BS歴史館「本能寺の変の謎」(軍記物依存について)
★ 『本能寺の変 四二七年目の真実』読者書評
>>>トップページ
>>>ブログのご案内
>>>本能寺の変 四二七年目の真実
本能寺の変 四二七年目の真実明智 憲三郎プレジデント社このアイテムの詳細を見る |
【定説の根拠を斬る!シリーズ】
通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』
軍神豊臣秀吉が歪めた本能寺の変研究
定説の根拠を斬る!「中国大返し」
定説の根拠を斬る!「安土城放火犯」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(続き)
定説の根拠を斬る!「神君伊賀越え」(最終回)
定説の根拠を斬る!「朝倉義景仕官」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その2
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その3
定説の根拠を斬る!「光秀の敗走とその死」その4
【信長は謀略で殺されたのだ 偶発説を嗤うシリーズ】
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(駄目押し編)
てな感じでしたけど、旗は水色、紋は?
HDDに録画して有るので、明日でも観て確認します!
前田と松平がみたいに言うてました!
加賀前田氏の家紋が、梅紋で、この紋に見えますけどどうでしょうか?ただ、旗は水色が正解の色かどうか分かりません・・・。
大阪冬の陣の、真田幸村に対面してる前列に、
前田利常がいますよ!
僕には、梅紋に見えます!
旗の水色は、土岐一族しか使ってないのでしょうか?
美濃大垣藩主の石川忠総という武将が水色の旗でした!でも旗の印は、ドーナツみたいな穴の空いた丸い紋でした!
主君は、徳川家康、秀忠、家光に仕えました。
関ヶ原は、東軍で活躍。大坂夏の陣でも活躍したそうです!
11月13日曜日京都府長岡京市で行われたガラシャ祭りに行って来ました!土岐源氏明智光秀特製帽子と水色桔梗のトートバックのおかげで、一般市民の方には、関係者みたいに思われたみたいで・・・。
また、関係者の方には関係者違うけど、なんか関係有ると思われたみたいで、カメラマン席の隣で撮影できました。昔の衣装を着た、継体天皇から、細川忠興、ガラシャ夫妻まで、至近距離から撮影でき、これも明智光秀公のおかげと思っております・・・。