本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:情報はこうして集めた(まずインターネット)

2010年03月29日 | 謎はこうして解けた!
 本能寺の変の歴史捜査は情報収集から始めました。このやり方は三十数年やってきた仕事のやり方と同じであることは既に書いたとおりです。といっても「謎はこうして解けた!」シリーズは久しぶりに書きますので忘れている方がほとんどだと思います。このシリーズの記事を振り返って読んでいただけると幸いです。
 ★ 真実解明の手法「歴史捜査」

 実はこの手法が従来の本能寺の変研究とは大きく異なっていた点でした。
 従来の研究では仮説、つまり答を先に作り、それを裏付ける史実がないかと探す手順です。私は初めに仮説を作らず、とにかく史実を総ざらいして調べることから始めたのです。このことが私を真実解明に至らせた大きな理由だったと思います。

 さて、それでは情報収集をどのように行ったかをご紹介します。
 私が本気で本能寺の変の謎解きへの挑戦を開始したのが2004年8月のことでした。友人が強引に出版社と「子孫が本能寺の変の謎を解く」という本の企画をまとめてしまったことがきっかけでした。そのいきさつは以下の記事に書きましたのでご覧ください。
 ★ 本能寺の変の真相解明に駆り立てたもの

 「世の中のことは全てが順序正しく動くわけではない」と今にして思います。まだ謎解きの「な」の字もない段階で謎解き本を出版する、しかも原稿を半年後に書上げてください、というゴールが先に決まってしまったのです。結局、半年どころか五年かかってしまいましたが、ゴールにはどうにか到達することができました。おそらく、あのときに無謀なスタートを切っていなければ、何年たってもゴールすることはなかったでしょう。
 さて、そんな状態でのスタートでしたから、何から手をつけてよいのか全く暗中模索。そこで、いつも仕事で行っているように、まずインターネットで「本能寺の変」と入力して検索することから始めました。
 インターネットには情報が溢れていました。本能寺の変が歴史の謎として多くの方々の関心を引き続けていることをあらためて実感した次第です。「明智光秀」「春日局」などキーワードを替えて検索し、役に立ちそうなホームページを印刷しました。これは結構目の疲れる作業でしたが、数センチの厚さの情報を2~3日かけて集めることができました。これを通勤電車の中で1週間ぐらいかけて読み通しました。
 世の中ではこんなことが言われているのかと理解できたことは収穫でしたが、逆に余りにも様々な精錬されない情報が集まってしまいました。様々な俗説からの抜き書き、歴史研究家の本からの転記、自説の主張。朝廷黒幕説、足利義昭黒幕説、豊臣秀吉主犯説に始まって天海僧正光秀説や「かごめかごめ」の歌の歌詞に謎が秘められているといった話まで。それらの根拠としている情報が出典を示さずに史実の如くに書かれています。その結果、私の頭は情報パニックを起こした状態に陥りました。
 ★ 朝廷黒幕説を斬る!
 ★ 足利将軍黒幕説を斬る!
 ★ 光秀冤罪説を斬る!
 ★ 日光東照宮桔梗紋説を斬る!

 この状態から脱却するため、結局、1件を残して全ての情報を捨て去ることにしました。その1件とは年表形式でできごととそれを記載した史料名とを書き出したホームページです。それが「Household Industries歴史館」の「天下統一期年譜」です。
 大量の史料の記事を丁寧に年表にしたご努力には誠に頭が下がる思いがします。この年表の素晴らしさは意図的に情報の選別をしていない、という点にあります。とにかく、何年何月何日に何があったか、その記事は何と言う史料に書かれているか、を漏れなく書上げるという姿勢で作られているのです。是非、一度ご覧になってください。
 ★ Household Industries歴史館

 後に触れることにしますが、この年表こそ私の研究を成り立たせてくれたものといえるのです。
 インターネットでの情報収集はこうして情報パニックと貴重な1件のホームページを残して終了し、次の情報収集段階へと進むことになりました。
 

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