民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「再話について」 はま みつお

2012年08月10日 21時56分05秒 | 民話(語り)について
 「信濃の民話集」 はま みつお著  

 あとがき

 信州は民話の宝庫といわれ、今も たくさんの民話が語り継がれています。

 とはいえ、長い年月の間に、あるいは削られ、あるいは語り落とされて、
ちょうど 緑の山が風化して 堅い岩肌を残したように、
民話も大筋というより 骨を残して 今にあるのが現状です。

 そこで、民話の再創造「再話」ということが行われるようになりました。
 つまり、考古学者が土器の破片をつなぎ合わせ、あるべき姿に復元するように、
現存する民話の骨に 肉をつけ、今によみがえらせようというのです。

 しかし、これは 大変 難しいことなのです。
 土器の破片が、あるべき位置に戻されることを願っているように、
削られたり 語り落とされた言葉も、きっと 語られた炉端を慕っているに違いないのです。

 したがって、民話を再話するということは、決して 作者の創意が賞賛されるべきものではなく、
いかに謙虚に いにしえ人の隠された言葉に 耳を傾けたかにあるのです。

 何百年となく 生き続けた民話は、たとえ骨になっていようとも、
ちっぽけな人間の創意など とても及ばない力を秘め、やはり 生きているのです。
 生けるものに 勝手な味付けをしようとすれば拒否され、
強いて異形ににされた民話は 亡者となって 必死に 血肉を振り払おうとします。

 いかなる民話も、いにしえ人の意志と願いを無視して、
独善的な創意で作り変えてはならないものだと思います。

 私は一編の民話を復元するたび、いにしえ人の魂に、鎮めた気持ちで敬虔な祈りを、
そのたび ささげてまいりました。

 以下 略