民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「つつじの娘」について 松谷 みよ子 

2012年08月28日 08時57分48秒 | 民話(語り)について
「松谷みよ子の本」 第二巻 講談社 平成六年

 象徴的に語ることについて

 この話(つつじの娘)は一冊の長編になる重みをたたえている。
それなのに民話として語られる場合は、ごく短い。

 民話の中では それが美しい娘であっても、
単に「いとしげな娘」という程度しか語られないのである。

 この物語の中でも 女と男の心もつまびらかには語っていないけれども、
てのひらに握って走った米が餅になったというこの一言で、
女の愛がいかに深く、激しかったかを知ることができる。

 同様に、夜毎その餅を食わされた男が、しまいには その激しさにたじたじとなり、
魔性の女と思い込んでいく、その道筋も 聞き手にはすとんと胸に落ちるのである。

 女と男という永遠のテーマについて、それこそ 幾千幾万という作品があるだろうけれども、
握り締めた米が餅になるという象徴的なできごとがすべてを語りつくす、
これはやはり民話だからこそではあるまいか。