民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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顔あげ隊 マイ・エッセイ 14

2015年08月10日 00時16分19秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   顔あげ隊
                                                
 2013年9月、宇都宮美術館が主催する館外プロジェクト、「おじさんの顔が空に浮かぶ日」 がスタートした。 屋内の展示室を飛び出して、屋外でも美術作品に触れる機会をつくろうと、三十代前半の男二人女二人で構成された現代芸術活動チーム、「目」に委託した企画である。
 月に一度、午後3時から5時まで、オリオン通りにあるニュースカフェの二階を借り切って、市民が誰でも参加できる公開ミーティングを開いていた。

 去年(2014年)の2月、(どれ、どれ、どんなことをやっているのかな)のぞいてみた。年齢層もまちまちな男女が、中央のテーブルを囲んで二十人くらい、そのまわりに十人くらいがイスにすわっている。
(あれっ、ちょっとイメージが違うな。おじさんの顔と言いながら、ほんとのおじさんはいないじゃないか)
 場違いな空気にとまどいながら席につく。ミーティングは初参加の人も何人かいて、まずは自己紹介からはじまる。
 オレは「ヤジウマとしてやってきたおじさんです」とあいさつした。
 美術館が一人、アーティストが二人、圧倒的に人数が多いのは「顔あげ隊」という名の ボランティア・グループ だ。聞いていると、みんなの意見がバラバラで、ちっとも話がまとまらない。ムダに時間だけが過ぎてゆく。
 イライラして口をはさみたくなるのをグッとガマンする。ヤジウマはでしゃばっちゃいけない。
 三ヶ月たち四ヶ月たっても、なにも決まらない。
(こんなんじゃ、いつまでたっても浮かべられないじゃないか)
 ガマンできなくなって、口を開いた。
「みんなの意見を拾いあげたいっていう気持ちはわかる。だけどオレたちはボランティアなんだ。こうしてほしいって言えばそれを手伝う。もっとリーダーがしっかりしてくれなきゃ、時間ばっかりたって、前に進まない。」
 ちょっと感情的に、積もり積もったイラ立ちを一気に吐き出した。みんなの顔つき、空気が変わった。が、言ってからまだ未熟な自分を戒めた。
(オレはヤジウマじゃないか。ヤジウマは外から見てるだけにしなきゃいけない)
 次のミーティングからはヤジウマに徹し、発言するのをやめた。
 8月の予定が10月になり、12月になって、イライラは募っていった。
 心配をよそに、リーダーの頑張りはすごかった。すったもんだのバルーン業者との交渉を根気よく続け、67万個の大きさも色も微妙に違うドットの判を、ひたすら押し続ける徹夜作業の連続にも耐え、ようやく12月には浮かべられるまでこぎつけることができた。
 案内チラシもできあがり、広報活動をする顔あげ隊の出番も多くなる。新聞・ラジオ・テレビに積極的にはたらきかけ、みんなでおじさんの格好をして、オリオン通りをパレードしながら、チラシを配って歩いた。

  そして12月、宇都宮の空におじさんの顔が浮かんだ。上空の風速が4メートル以内という厳しい条件をクリアして、てっぺんの高さ60メートル、タテ15メートル・ヨコ10メートルのバルーンに、白黒のドットで描かれたおじさんの顔が空を舞った。
 あとから参加した気球に詳しいおじさんが、「奇跡だ!」声を震わせて叫んだ。
 オレは「顔カフェ」チームとして参加する。人が一番集まる場所にテントを張って、和紙で作ったシェードに電球が光る「顔電球」と名づけた帽子をかぶり、来場者にコーヒー・茶菓子のサービスをした。
 モデルになったおじさんも来てくれて、観客とのツー・ショット写真やメディアの取材に、ひっぱりだこになっていた。
 オレも生まれてはじめて新聞社から取材を受ける。一生懸命メモを取っていたが、どんな記事になったか確認はしていない。
 夜はバルーンの中に組み込まれた発光ダイオード(LED)が光り、お月さまのように浮かびあがった。 

 顔あげ隊の中には一年半に渡る活動中にやめていった人もたくさんいる。最後まで残った人は空に浮かぶおじさんの顔を見上げて、(頑張ってきてよかった)みんなが思ったことだろう。
 このプロジェクトが終わったあとも「このメンバーでまたなにかやりたい」という話が持ち上がっている。