「昭和からの遺言」 倉本 聡(1935年生まれ) 双葉社 2015年
「卑怯について」 その3 P-68
家に帰ってその日の出来事を
俺、出たんだよ と父に自慢したら
父はしばらく黙っていたが
本当の卑怯者はどっちかな と笑った
俺は黙って 答えられなかった
答えられなかったけど
心が苦しかった
その頃大相撲の世界では
横綱双葉山が連勝記録を伸ばし
誰も倒すものがいなかったのだが
ある日大関前田山が
いきなりパチン!と張り手をかまし
それでも双葉山は前田山を破ったが
当時張り手は珍しかったから
世間は前田山を卑怯者となじった。
俺のクラスにも不敗の横綱
ミナミ君という餓鬼大将がいて、
関脇の俺は前田山に倣(なら)って
ミナミ君の頬っぺたをいきなり張ったら
ミナミ君はおどろいてひっくり返り
みんなは俺を卑怯者と攻めた。
先生にまで張り手は卑怯だと云はれて
土俵の上で俺は泣き出した。
あの頃俺は、とっても可愛かった
「卑怯について」 その3 P-68
家に帰ってその日の出来事を
俺、出たんだよ と父に自慢したら
父はしばらく黙っていたが
本当の卑怯者はどっちかな と笑った
俺は黙って 答えられなかった
答えられなかったけど
心が苦しかった
その頃大相撲の世界では
横綱双葉山が連勝記録を伸ばし
誰も倒すものがいなかったのだが
ある日大関前田山が
いきなりパチン!と張り手をかまし
それでも双葉山は前田山を破ったが
当時張り手は珍しかったから
世間は前田山を卑怯者となじった。
俺のクラスにも不敗の横綱
ミナミ君という餓鬼大将がいて、
関脇の俺は前田山に倣(なら)って
ミナミ君の頬っぺたをいきなり張ったら
ミナミ君はおどろいてひっくり返り
みんなは俺を卑怯者と攻めた。
先生にまで張り手は卑怯だと云はれて
土俵の上で俺は泣き出した。
あの頃俺は、とっても可愛かった