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「素読のすすめ」 その1 安達 忠夫

2017年01月01日 00時18分16秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その1 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「夜ごとの素読」 P-30

 中間子理論でノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹(1908~81)は、5、6歳のときから、毎晩、祖父の離れに一人で通って、四書五経の素読をさせられるようになったという。
 机の向こう側に端然と座している祖父が、一尺以上もある字突き棒で正確に一字一字さしながら、
「子(し)、曰(のたま)わく・・・」
 それをまねて、
「シ、ノタマワク・・・」
といったぐあいに、眠いのをこらえ、ひたすら唱えていく。
 ページには兄たちふたりの涙のあともしみており、一日分の日課が終わって母屋に戻って行くときは、さぞかし飛び立つような思いだったにちがいない。
 こうした素読の経験について、湯川秀樹は自伝『旅人』のなかで次のように述べている。

 私はこのころの漢籍の素読を、決してむだだったとは思わない。
 戦後の日本には、当用漢字というものが生まれ、子供の頭脳の負担を軽くするには、たしかに有効であり、必要でもあろう。漢字をたくさんおぼえるための学力を他へ向ければ、それだけプラスになるにちがいない。
 しかし私の場合は、意味も分からずに入って行った漢籍が、大きな収穫をもたらしている。その後、大人の書物を読み出す時に、文学に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは怖ろしいことだ。ただ、祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみ、その後の読書を容易にしてくれたのは事実である。