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民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「素読のすすめ」 その6 安達 忠夫

2017年01月11日 00時06分11秒 | 文章読本(作法)
 「素読のすすめ」 その6 安達 忠夫(1944年生まれ)  講談社現代新書 1986年

 「テキストの種類」 P-160

 いろいろ回り道をしてきたが、とどのつまり、素読は理屈ではない。文字通り、素人の立場で素直に読むこと、心をむなしくして、ひたすら読んでいくことである。「素」というのは、まだ色を染めていない、生地のままの白絹のことだという。

 だが、わたしたちは、いったい、どのような染料で心を染めるつもりなのか。何を読んだらいいのか。もちろん、何でもなければならないというきまりはない。素読の対象となるのは、漢文にかぎらず、日本の古典や現代文、外国および外国語の古典など、書かれたものはすべて、素読のテキストになりうる。絵本でも、マンガでも、週刊誌でも、かまわない。ただし、やがてそれが、あなたの白絹(?)を染めることになるのだ。

 テキスト選びの段階ですでに迷わざるをえないところに、わたしたち自由恋愛の時代の幸福と不幸、豊かさと貧しさがある。昔は親のきめた許嫁のように、四書五経とか、聖書とか、あらかじめのテキストが定まっていた。選択の楽しみもない代わりに、選択の迷いもなかった。

 だから、あなたが素読を思いたったとき、すでに意中のテキストがはっきりと決まっているのなら、即刻開始するのがいちばんだ。何よりも、この本に賭けてみようという意気込みと、いつか相手が心をひらいて、わたしの思いを受け入れてくれるだろうかという謙虚さが、素読というこの「愚か」にも似た営みをささえている。