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十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その7

2017年10月02日 00時18分06秒 | 健康・老いについて
「江戸の定年後」 ご隠居に学ぶ現代人の知恵 中江 克己 光文社文庫 1999年

 十返舎一九 ―― 自分の死を笑いのタネに その7

 ベストセラー作家なのに貧乏暮し その2

 天保2年のある日、臨終の近いことを悟った一九は、枕元の門人たちに、厳しくいいわたした。
「おれはまもなく死ぬが、死んだら絶対に湯灌などするなよ。着物も着せ替えてくれなくていい。死んだままの格好で棺に入れ、必ず火葬にしてくれ。よいな」
 門人たちは不審に思ったが、師匠が変わったことをいったり、したりするのは、いまにはじまったことではない。だまってうなずくしかなかった。
 やがて8月7日、一九が息を引き取ると、門人たちはいいつけを守って遺体をそのまま棺に入れ、火葬場に運び込み、焼いてもらった。

 ところが、棺に火がまわった途端、
「ど、どーん」
 すさまじい爆発とともに、棺から激しい火柱が吹きあがったのだ。まわりには、門人や友人たちが神妙な顔をして集まっていたが、なにごとが起こったのかと、肝をつぶしてしまった。
 一九は死の直前に、なんと自分の体に花火の管を巻きつけておいたのである。サービス精神の旺盛な一九は、自分の死まで演出して、集まってくる友人や知人たちを笑わせようとしたのだろう。
 そのうえ、つぎのような辞世まで用意していた。

「此世をばどりゃお暇せん香の煙りと共に灰左様なら」

 ひたすら人をおどろかせ、喜ばせようとする一九らしい死だった。