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「江戸っ子はなぜこんなに遊び上手なのか」 その8

2017年10月24日 00時02分21秒 | 本の紹介(こんな本がある)
 「江戸っ子はなぜこんなに遊び上手なのか」 その8 中江 克己 青春出版社 2016年

 華やかな猿若三座 その1

 江戸後期のことだが、浅草寺奥山のほかに猿若町(台東区浅草六)という、華やかな芝居町があり、多くの人びとで賑わっていた。
 猿若町一丁目に中村座、二丁目に市村座、三丁目には森田座があり、これを「猿若三座」と称した。それぞれ屋根の上に櫓を設けてあるが、これは幕府が興行を許可したという印で「御免櫓」という。そのほか猿若町には芝居茶屋があるし、人形芝居の小屋などもある。いわば大衆娯楽の中心地で、1日に千両を稼ぐといわれたほどだ。

 ところで官許か、そうでないかによって、舞台の幕がちがっていた。官許の芝居は「大芝居」といったが、この場合、柿、黒、萌黄の三色の布を縦にはぎ合わせたもので、左右に動く引幕だった。いまの歌舞伎も同じである。ただし、配色は各座によって異なっていた。

 小芝居(見世物小屋、宮芝居)では、舞台上部に設置した竿に幕を取り付け、上下に動かす緞帳だった。このため、小芝居を、引幕が許されていない、ということから「緞帳芝居」といって一段低く見た。
 なお「宮芝居」というのは、神社の祭礼のときなどに、境内で小屋掛して興行する芝居のことだ。
 この北東には、吉原遊郭(台東区千束四)がある。奥山、猿若町、吉原を結ぶ一帯は、まぎれもなく江戸一番の歓楽地域だった。