「江戸っ子はなぜこんなに遊び上手なのか」 中江 克己 青春出版社 2016年
笑わせる「豆蔵」とハラハラさせる曲馬 その1
見世物小屋では軽業や手品、曲独楽、豆蔵、ろくろ首などさまざまな芸が演じられた。「豆蔵」というのは、笊(ざる)や徳利(とっくり)、扇などを使って曲芸や手品を演じ、滑稽な身ぶりや口上、物真似で客を笑わせる。もともと元禄年間(1688~1703)ごろ、豆蔵という大道芸人が手品や曲芸、滑稽なおしゃべりで投げ銭をもらっていた。そこからこのような複合的なお笑い芸を「豆蔵」と呼ぶようになった。
しかし、これには異説があって、「口まめ」だからこの名がある、ともいわれる。履物と摩擦したり、激しい仕事や運動をすると、手や足に「肉刺(まめ)」ができる。それと同じように、口に肉刺(まめ)ができるほど口上をよくしゃべるから「豆蔵」といわれるようになった、というのだ。つぎのような句もある。
「口に出来る程しゃべるから豆蔵」
笑わせる「豆蔵」とハラハラさせる曲馬 その1
見世物小屋では軽業や手品、曲独楽、豆蔵、ろくろ首などさまざまな芸が演じられた。「豆蔵」というのは、笊(ざる)や徳利(とっくり)、扇などを使って曲芸や手品を演じ、滑稽な身ぶりや口上、物真似で客を笑わせる。もともと元禄年間(1688~1703)ごろ、豆蔵という大道芸人が手品や曲芸、滑稽なおしゃべりで投げ銭をもらっていた。そこからこのような複合的なお笑い芸を「豆蔵」と呼ぶようになった。
しかし、これには異説があって、「口まめ」だからこの名がある、ともいわれる。履物と摩擦したり、激しい仕事や運動をすると、手や足に「肉刺(まめ)」ができる。それと同じように、口に肉刺(まめ)ができるほど口上をよくしゃべるから「豆蔵」といわれるようになった、というのだ。つぎのような句もある。
「口に出来る程しゃべるから豆蔵」