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「青春風土記」 (旧制高校物語) その1

2016年04月22日 00時10分58秒 | 雑学知識
 「青春風土記」 (旧制高校物語)  週刊朝日編 朝日新聞社 1978年

 名物教授 P-27

 (旧制水戸高校)文科の卒業生に話を聞くと必ず出てくるのが、数学担当の内藤珍麿教授の名前。正しくはウズマロだが、教え子たちは、異口同音にチンマロと呼ぶ。
 珍麿教授、文化生の数学嫌いを知り抜き、「ぼくだけが本気で講義をしてもしかたがない」が口癖だった。数学の時間の半分をイタリア語の講義に割く。試験はやさしく、問題を3っつほど示し、「中の一つを出すから、解答を暗記してこい」。
 数学が嫌いな生徒にはイタリア語の試験をして数学の点数を与えた。

 水戸高赴任直後は、東京に家を構えていた。土曜日最後の授業を15分ほどはしょって、上野行きの上がり列車にとび乗る。生徒の大半も東京出身なので、教授と同車、帰京する。
 水戸に住むようになると、当時としてはめずらしいオートバイで通学。いってみれば暴走族の走り。生徒が乗せてくれといえば気軽に後部座席を提供した。珍麿教授のカーキチぶりはさらにエスカレートする。昭和10年代になると、外車のパッカードで通う。
 元朝日新聞社出版局長岡田任雄(昭9・東大法)が作った「水高数え歌」の7番目に出てくる。
「7つ出たわの よさほいのほい 内藤珍麿オートバイ ほい 末は千波の水の底 ほいほい」
 千波は水戸市内の湖。珍麿教授は昭和30年1月、死去した。


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