民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「カチカチ山」 マイ・エッセイ 29

2017年09月15日 00時10分28秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   カチカチ山   
                                                                                               
 今年の春、中央生涯学習センター秋の文化祭に、朗読の会で一緒に習っている女性と二人で朗読を発表することになった。選んだ作品は、太宰治が戦争中防空壕の中で書いた『 カチカチ山』。タヌキを三十七歳の中年男、ウサギを十六歳の乙女として再構成したもの。
 全部を読むと一時間はかかるが、タヌキとウサギの会話を中心に『 男女二人読み』として、十八分ほどにまとめた台本が既にあった。それを先生が朗読したのを二人とも聴いたことがあり、そのとき「 会話のやり取りがおもしろい、いつかやってみたいね」と話していた作品だ。
 文化祭で割り当てられた時間は十五分。出入りの時間を考えれば十三分に収めたい。「台本作りはオイラに任せてくれ」とさっそく取り掛かった。
 太宰は学生時代には全集を読んだことがあるくらい傾倒していた作家だったが、社会人になってからはすっかり遠ざかっていた。それがこんな形でまた関わるようになるとは思ってもみなかった。
 手直しを何度かくり返して最終台本が出来あがったのは文化祭の二週間前。いよいよ本番に向けて練習にも熱が入った。近づくにつれて、五年前のシルバー大学での苦い経験がよみがえった。
生徒全員が集まる学校祭での民話語り、足がブルブル震えてずっと止まらなかったほどあがり症なのだ。
 会場は見たことがあるのでイメージは掴める。しかし、あんな広いところでやるんだぞ、だんだんプレッシャーがかかる。だけど、あのときに比べたらずいぶんと舞台度胸もついてきたはずだと、心配と自信が交錯する。いい年をして緊張するのもみっともないと思いながら、最悪の状況を思うと、弱気な気持ちが頭をもたげる。
 そして迎えた十月十五日、出演は午後の部の二番目、昼休みに会場の様子を下見して、先生と相方と三人で立ち位置を確かめたあと、控え室で軽い昼食を取り、五分刻みのスケジュール表に従ってリハーサルをあわただしく済ませ、舞台の袖に立っていた。出番まであと数分だ。気持ちを落ち着かせるため何度も深呼吸をくり返す。
 拍手が響いて、前の組が終わり、オイラたちの所属する朗読の会を紹介するアナウンスが始まる。緊張のクライマックス、思ったほど心臓の動悸は激しくない。
「 それでは、どうぞ」の合図に、相方に目配せをして舞台中央に歩き出す。舞台の下手から出るときは観客に顔が見えるように左足から出ることなど、前日に読んだ注意事項をしっかり守った。
 立ち位置をしっかり確認して、お辞儀をする。前に並べられた五十席ほどのイスにすわっているのは十五人くらいだろうか。正面の壁際と両側の袖にはそれ以上の関係者やスタッフが立っている。
 作者と作品名を言うのはオイラだ。台本を左手に持ち、しっかり観客を見据えて口を開く。

「 太宰治作、お伽草子より、『 カチカチ山』」

 広い会場のせいか、声が散っていく感じがして少し不安になる。こんな広いところで声を出すのは初めてだ。腹に力を入れるのを忘れるな、自分に言い聞かせる。これだけはしっかり守ろうと決めて、八ページの台本のすべてのページに『 腹に力を入れて』と書いて赤鉛筆で印をつけておいた。
 出だしのセリフもオイラだ。台本を広げ、老眼鏡をポケットから出してかけようとするが、右手一本では意外にてこずる。時間が止まったかのようにやけに長く感じる。落ち着けとあせればあせるほど手がこんがらがる。
 作品名を言った後と最初の出だしはじゅうぶんに間を取ってと先生に注意を受けていたが、これでは間が空きすぎる。たぶん二、三秒のことながら、オイラの焦りを誘うにはじゅうぶんな時間だ。予想しなかった展開にいくぶん動揺が走る。気を取り直して最初のセリフを口にする。

「 カチカチ山の物語に於ける兎は少女、さうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋してゐる醜男。これは疑いを容れぬ厳然たる事実のやうに私には思はれる」

 これは何度も練習しているから自然に暗記して頭に入っている。声は上ずっていない、足も震えていない、この調子でいけば大丈夫だ。気持ちが落ち着く。相方がセリフを受け継ぐ。彼女も普段通りだ、しかし彼女はこういうことは初めてという割には驚くほど落ち着いている。彼女のことは朗読の会で一緒になるくらいで、よく知らない。
 大きなミスもなく、最後のオイラのセリフまで来た。もう一息だ。

「 女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる」

 最後のセリフを言って顔を上げる。拍手が聞こえる。終わった、無事に乗り切った。ほっとする気持ちをぐっと抑えて、台本を閉じ、「 ありがとうございました」。二人同時にお辞儀をして舞台の上手に引っ込んだ。


 このエッセイは去年の文化祭のことを書いたものです。

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