「日日是好日」 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ 森下 典子 新潮文庫 2008年(平成20年)
第五章 <たくさんの「本物」を見ること> 「お勉強」 P-100
お茶会には「点心」という「お弁当」がついていた。昼すぎ、私たちは先生に連れられて、昼食のための大きなお座敷で、庭を見ながら点心の寿司折りを広げた。
そのとき、一人の老婦人が、先生に声をかけてきた。
「あら、武田さん、今日はお若いお弟子さんをお連れになったの? 」
真っ白い髪をきれいに結い、その白髪によく合う明るいグレーの一つ紋を着て、柔らかそうな淡い藤色
のストールを手に、スッと立っていた。私は「水仙」の花を思った。
その人の中に、むかしの「楚々としたお嬢さん」が、そのまま生きていた。80歳を越えていると思うけれど、「年寄り」という感じがしない。
団体が幅をきかせ、「私たち四人いっしょなんだもの」と、ぞろぞろと連なって動く中で、清々と一人で行動している。こんなに美しい人を見たことはなかった。
私はその人を見つめた。
(こんなふうになれたら、いいなあ)
「これからお弁当召し上がるの? 私は今いただいたところ」
その老婦人はチャーミングに微笑むと、「さっ、もう一席、お勉強してくるわ。お勉強って、本当に楽しいわね。それじゃ、お先に・・・」
柔らかそうな、優しい色をしたストールを、ふわりと肩にかけて立ち去るその人の後姿を見送りながら、私の心には、流れの中の岩のように引っかかる一つの言葉が残った。
「ねぇ、いまの人『お勉強』って言ったよね」
お寿司を口に運びながら、私はミチコに言った。
「うん、言った・・・」
「あの年になった人が、どうして今さら勉強するんだろう? 」
「どうしてだろうね・・・」
大学に入って、やっと受験勉強から解放された私たちには不思議に思えた。そういえばその日、茶会のあちこちで「勉強」という言葉を耳にした。先生の知り合いも、正客になったおばあさんも・・・。
私たちの会話を聞きながら、その時先生がまた、クスクスッと笑った。
森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。
第五章 <たくさんの「本物」を見ること> 「お勉強」 P-100
お茶会には「点心」という「お弁当」がついていた。昼すぎ、私たちは先生に連れられて、昼食のための大きなお座敷で、庭を見ながら点心の寿司折りを広げた。
そのとき、一人の老婦人が、先生に声をかけてきた。
「あら、武田さん、今日はお若いお弟子さんをお連れになったの? 」
真っ白い髪をきれいに結い、その白髪によく合う明るいグレーの一つ紋を着て、柔らかそうな淡い藤色
のストールを手に、スッと立っていた。私は「水仙」の花を思った。
その人の中に、むかしの「楚々としたお嬢さん」が、そのまま生きていた。80歳を越えていると思うけれど、「年寄り」という感じがしない。
団体が幅をきかせ、「私たち四人いっしょなんだもの」と、ぞろぞろと連なって動く中で、清々と一人で行動している。こんなに美しい人を見たことはなかった。
私はその人を見つめた。
(こんなふうになれたら、いいなあ)
「これからお弁当召し上がるの? 私は今いただいたところ」
その老婦人はチャーミングに微笑むと、「さっ、もう一席、お勉強してくるわ。お勉強って、本当に楽しいわね。それじゃ、お先に・・・」
柔らかそうな、優しい色をしたストールを、ふわりと肩にかけて立ち去るその人の後姿を見送りながら、私の心には、流れの中の岩のように引っかかる一つの言葉が残った。
「ねぇ、いまの人『お勉強』って言ったよね」
お寿司を口に運びながら、私はミチコに言った。
「うん、言った・・・」
「あの年になった人が、どうして今さら勉強するんだろう? 」
「どうしてだろうね・・・」
大学に入って、やっと受験勉強から解放された私たちには不思議に思えた。そういえばその日、茶会のあちこちで「勉強」という言葉を耳にした。先生の知り合いも、正客になったおばあさんも・・・。
私たちの会話を聞きながら、その時先生がまた、クスクスッと笑った。
森下 典子 1956年(昭和31年)、神奈川県横浜市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業。大学時代から「週間朝日」連載の人気コラム「デキゴトロジー」の取材記者として活躍。その体験をまとめた「典奴どすえ」を1987年に出版後、ルポライター、エッセイストとして活躍を続ける。(中略)20歳の時から茶道を習い始め、現在も続けている。