「ニューヨークのとけない魔法」 岡田 光世 文春文庫 2007年
はじめに P-9
住み慣れたニューヨークから、久しぶりに東京に戻った。天気がよいので、ふだんはあまり開けない窓を開けた。その瞬間、向かいの家の窓が音を立ててぴしりと閉まり、さっとカーテンが引かれた。
近所の中年のお父さんたちに「おはようございます」と挨拶しても、下を向いたままで目を合わせない。わずかに会釈してくれることはあった。
そんなとき、私はニューヨークが恋しくなった。ベランダに出れば、ジョギングしている人が足を止め、下から声をかけてくる。
花がとてもきれいだから、毎朝ここを走るのが楽しみなの。ありがとう。
部屋でピアノを弾いていると、ドアの呼び鈴が鳴った。ドアを開けるとそこには、郵便物の束を抱えて、見慣れない女性の郵便屋さんが呆然と立っていた。
あまりにも美しい音色だったから・・・。思わず呼び鈴を鳴らしてしまったの。
郵便受けに入れればそれで済む郵便物を、わざわざ手渡しして、次の配達先へと去っていった。
あるとき、バスに乗り遅れまいと必死に走っていると、バスのドアが閉まり、ゆっくり動き始めた。その瞬間、たまたま通りを歩いていた男の人がバスに向かって大声で、待て!待て!と叫んだ。バスは止まり、私はその男の人に礼を言って乗り込んだ。
東京はみんな、自分のことで忙しそうだ。周りの人など存在しないかのようだ。電車の中では、ひたすら携帯電話に向かって指を動かし、メールを打つか、ゲームに没頭している。イヤフォンで音楽を聴いている。鏡に映る自分の顔を見つめながら、化粧をしている。
中略
ニューヨークは孤独な大都会のはずなのに、人と人の心が触れ合う瞬間に満ちている。飾ることなく、ごく自然に、笑顔や言葉を交し合える。だから私は、この街に魅せられる。
中略
私は今、東京でも見知らぬ人に気軽に声をかけている。だからこの街でも少しずつ、人とのつながりを肌で感じながら、暮らし始めている。
後略
著者紹介 岡田 光代
1960年東京生まれ。青山学院大学卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。読売新聞米現地紙記者を経て作家、エッセイスト。高校、大学時代に1年間ずつアメリカ中西部に留学し、1985年よりニューヨークに住み始める。今も東京とニューヨークを行き来しながら執筆を続けている。
はじめに P-9
住み慣れたニューヨークから、久しぶりに東京に戻った。天気がよいので、ふだんはあまり開けない窓を開けた。その瞬間、向かいの家の窓が音を立ててぴしりと閉まり、さっとカーテンが引かれた。
近所の中年のお父さんたちに「おはようございます」と挨拶しても、下を向いたままで目を合わせない。わずかに会釈してくれることはあった。
そんなとき、私はニューヨークが恋しくなった。ベランダに出れば、ジョギングしている人が足を止め、下から声をかけてくる。
花がとてもきれいだから、毎朝ここを走るのが楽しみなの。ありがとう。
部屋でピアノを弾いていると、ドアの呼び鈴が鳴った。ドアを開けるとそこには、郵便物の束を抱えて、見慣れない女性の郵便屋さんが呆然と立っていた。
あまりにも美しい音色だったから・・・。思わず呼び鈴を鳴らしてしまったの。
郵便受けに入れればそれで済む郵便物を、わざわざ手渡しして、次の配達先へと去っていった。
あるとき、バスに乗り遅れまいと必死に走っていると、バスのドアが閉まり、ゆっくり動き始めた。その瞬間、たまたま通りを歩いていた男の人がバスに向かって大声で、待て!待て!と叫んだ。バスは止まり、私はその男の人に礼を言って乗り込んだ。
東京はみんな、自分のことで忙しそうだ。周りの人など存在しないかのようだ。電車の中では、ひたすら携帯電話に向かって指を動かし、メールを打つか、ゲームに没頭している。イヤフォンで音楽を聴いている。鏡に映る自分の顔を見つめながら、化粧をしている。
中略
ニューヨークは孤独な大都会のはずなのに、人と人の心が触れ合う瞬間に満ちている。飾ることなく、ごく自然に、笑顔や言葉を交し合える。だから私は、この街に魅せられる。
中略
私は今、東京でも見知らぬ人に気軽に声をかけている。だからこの街でも少しずつ、人とのつながりを肌で感じながら、暮らし始めている。
後略
著者紹介 岡田 光代
1960年東京生まれ。青山学院大学卒、ニューヨーク大学大学院修士号取得。読売新聞米現地紙記者を経て作家、エッセイスト。高校、大学時代に1年間ずつアメリカ中西部に留学し、1985年よりニューヨークに住み始める。今も東京とニューヨークを行き来しながら執筆を続けている。
ありがとうございます。
著者
私のはただの紹介記事です。
ステキな著作です。
一人でも多くの人に知ってもらいたくてアップしています。