「日本語の呼吸」 鴨下 信一 著 筑摩書房 2004年
「<読解>のためばかりでなく<表現>のためにも句読点を打つ」 P-13
<読解>のための句読点、つまり文の構成にそって打たれた句読点と<表現>のための句読点、
いわば声に出して読むときの呼吸に従って打った句読点が<混在>している。
そのうえ悪いことに、全体の句読点の数を抑えるために、いくつかの句読点が<省略>されている。
この混在と省略のために、句読点の問題は混乱し、あいまいです。
しかもほとんど法則がない。
「自分で句読点を打ち直してみる」
この習慣さえつけば何でもない。
ひとつ断っておきます。
自分で自由に句読点を打てというと、なんだか作者、いま声に出して読もうとしている
文章の書き手に悪いのじゃないか、テキストに対する尊敬心がないと思われるんじゃないか、
という遠慮を持つ人がいますが、そんな遠慮はぜんぜん必要ありません。
なぜなら自分で句読点を打つためには、原文をとことん読みつくすことが必要だからです。
1)省略されて隠れている句読点がわかって、文の構成が理解されてくる。
2)書き手が表現のために打った句読点から、
書き手の要求している表現はこうなんだとわかってくる。
このテキストの読み込みこそが作者に対する最大の敬意だと思うのです。
そのうえで自分の表現はこうすると決定するのです。
これは読み手という表現者の当然の権利なのですよ。
書いてある句読点どおりに機械的にただ読むことこそ、作者に対する侮辱じゃないでしょうか。
「<読解>のためばかりでなく<表現>のためにも句読点を打つ」 P-13
<読解>のための句読点、つまり文の構成にそって打たれた句読点と<表現>のための句読点、
いわば声に出して読むときの呼吸に従って打った句読点が<混在>している。
そのうえ悪いことに、全体の句読点の数を抑えるために、いくつかの句読点が<省略>されている。
この混在と省略のために、句読点の問題は混乱し、あいまいです。
しかもほとんど法則がない。
「自分で句読点を打ち直してみる」
この習慣さえつけば何でもない。
ひとつ断っておきます。
自分で自由に句読点を打てというと、なんだか作者、いま声に出して読もうとしている
文章の書き手に悪いのじゃないか、テキストに対する尊敬心がないと思われるんじゃないか、
という遠慮を持つ人がいますが、そんな遠慮はぜんぜん必要ありません。
なぜなら自分で句読点を打つためには、原文をとことん読みつくすことが必要だからです。
1)省略されて隠れている句読点がわかって、文の構成が理解されてくる。
2)書き手が表現のために打った句読点から、
書き手の要求している表現はこうなんだとわかってくる。
このテキストの読み込みこそが作者に対する最大の敬意だと思うのです。
そのうえで自分の表現はこうすると決定するのです。
これは読み手という表現者の当然の権利なのですよ。
書いてある句読点どおりに機械的にただ読むことこそ、作者に対する侮辱じゃないでしょうか。
小学校の時、「、」は1つ数える。「。」は3つ数えると教わり、以来声に出して読む時は、比較的それを守っていました。
これってとてもおかしな事だったのですね。
ブログを書く時、句読点ではいつも悩みます。
あまりブツブツ切っても美しくないし、長過ぎては読みにくい。
表現のための句読点とは、今まで考えも及びませんでした。
これからそんなことも頭に入れて文章を書いてみたいと思います。
ありがとうございます!<(_ _)>
オレの知ってる人かな?
名を名乗れ(笑)
知ってる人と仮定して返事しよう。
>小学校の時、「、」は1つ数える。「。」は3つ数えると教わり、
あちゃ、知ってたんだ。
ふーん、なるほど、
これはみんなに教えなきゃ、とUPしたんだけど、
みんな、知ってることなのかな?
って、ここまで書いて、これって次にUPする予定のことに気がついた。
ひょっとして、この本読んでいるのかな?
ごめんなさい<(_ _)>
cocoyoです。
本は読んでいません。
小学校低学年の頃に教わったことです。
50年以上経っても覚えているなんて、幼少期の教育の力の大きさを感じます。
そのご本にはどんな風に書いてあるのでしょう。
ちょっと興味があります。
これを見て、馴れ馴れしいな、知ってる人かな?
絵文字を使うようなヤングで、知ってる人いたかな?
って、思っていました。
知ってる人は当たっていたけど、
ヤングの方ははずれかな(笑)
> >小学校の時、「、」は1つ数える。「。」は3つ数えると教わり、
今の若い世代はそうやって教わるんだと、感心していたら、同世代の人じゃないか。
ってことは、オレは教わったけど、忘れていたってことなのかな。
私は物語を書いているわけではないので、声に出して読むというよりは、
パッと文章を見たときに、わかりやすくて読みやすいことに重点を置いて、句読点を打つようにしています。
あと、物語なども自分でここは句点が入った方がいいと言うところは、勝手に入れて読んでいます。
勝手と言っても、書き手の解釈の妨げにならないよう心がけています。
おはなしや絵本は一気に続けて言うと、子どもが頭の中で整理できなくなるので、結構句点を入れて、絵を見る時間や頭の中で絵をイメージする間をとるようにしています。
ちょっと難しい文章を書くときは、読点が一気に減り、句点を使って長い分を書くことが多いです。
よく考えてみると、面白いものですね。
コメントを書いていたら、英語では、どうやってピリオドやコンマを入れているのかが気になりました。
ようこそ、大人の秘密の世界へ(笑)
どんどん割り込んでいいのよ。
エッセイを書くようになって、朗読の世界にも首を突っ込んで、
「句読点」が気になりだしてきました。
そこへ、この本、今まで知らなかったことを教えてくれます。
(私だけ知らなかったっていうショックもあるけど)
「句読点」もなかなか奥の深い世界のようです。
>英語では、どうやってピリオドやコンマを入れているのかが気になりました。
確かに。今度、聞いてみよう。
なにかヒントが得られるかもしれない。