民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「すらすら読める 方丈記」 中野 孝次

2015年01月15日 00時10分10秒 | 古典
 「すらすら読める 方丈記」 中野 孝次  講談社文庫 2012年 (2003年刊行)

 序――愁へ無きを楽しみとす P-3

 わたしは『方丈記』が好きだからずいぶん親しんできた。いまでは要所要所の文章はそらで言えるくらいだが、いつごろからそんなに好きになったかと言えば、やはり年をとってからである。若いときは『方丈記』に書いている鴨長明の考えが消極的に過ぎるように感じられ、あまり近づかなかったのが、老いてから次第にその主張が身につまされるようになってきた。

 消極的なようだが、これが実は一番強い生き方なのだ、と思うようになった。
 自分の権能にあるのはわが心一つである。そのほかは肉親も、妻も子も、主人も召使いも、すべて自分の自由にならない。身分、収入、権力、名声、住居、社会的自由といったものも、外に属し、自分が欲するものが得られるとは限らない。そういう自分の自由にならぬものに望みをかけて、一喜一憂していては、人は本当の安心を得ることができない。

 ――世にしたがへば、身、くるし。したがはねば、狂せるに似たり。

である。
 それならば、いっそ思い切ってそういうこの世のきずな全部を断ち切り、世を捨て、わが身一つ、わが心一つの自由に遊ぼうではないか。さいわい自分には大好きな文学と音楽というものがある。そう一途にではないが仏の教えにひかれもする。この世の生存形態は最小限にし、その代わりに自分の好きなことをして余生を送ることにしよう。それが自分にとっての最も好ましい生き方だ。安心の道だ。

 後略

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