「焔(ほのお)に手をかざして」 石垣 りん 埼玉福祉会 1980年
ぜいたくの重み P-22
一昔前に用いられていた台秤(だいばかり)。
あれは物の重さをはかるとき、物に見合う分銅を一方に置いて、目盛りを合わせました。
もし仮に、ぜいたくという言葉の重さをはかろうとしたら、
やはりこの古めかしい台秤でないと具合が悪い。
どんなに精密でも電子計量秤では、言葉の重さは量(はか)れない、ということがあります。
なぜなら、も一つ別のものを対置することではじめて均衡が得られる。
重さの見当がつく。
そういう性質のモノ、ではないかと思うからです。
後略
玄関先のハカリ P-37
贈り物には目方があるから、どうしてもハカリにかけてしまう。
この目盛りが単純ではない。
贈られた品のおよその代価、送り主の情けの重さ軽さ、お返しの心配などによって、
心の針が微妙に動く。
「ごめんください」とあいさつして、招じ入れられた家の玄関先に、肉屋の店頭にあるような、
品物を載せさえすればたちまち何グラムでいくら、と数字があらわれるような電子計量ハカリが、
客の面前に置かれてあるはずはない。
あうはずのないその計量器が、どうしたわけか見えないかたちで置かれている。
その家によって目盛りの違う、心の器のようなものかもしれない。
それを感じるからこそ、人は贈答品に、あれこれ頭を悩ますのだろう。
後略
ぜいたくの重み P-22
一昔前に用いられていた台秤(だいばかり)。
あれは物の重さをはかるとき、物に見合う分銅を一方に置いて、目盛りを合わせました。
もし仮に、ぜいたくという言葉の重さをはかろうとしたら、
やはりこの古めかしい台秤でないと具合が悪い。
どんなに精密でも電子計量秤では、言葉の重さは量(はか)れない、ということがあります。
なぜなら、も一つ別のものを対置することではじめて均衡が得られる。
重さの見当がつく。
そういう性質のモノ、ではないかと思うからです。
後略
玄関先のハカリ P-37
贈り物には目方があるから、どうしてもハカリにかけてしまう。
この目盛りが単純ではない。
贈られた品のおよその代価、送り主の情けの重さ軽さ、お返しの心配などによって、
心の針が微妙に動く。
「ごめんください」とあいさつして、招じ入れられた家の玄関先に、肉屋の店頭にあるような、
品物を載せさえすればたちまち何グラムでいくら、と数字があらわれるような電子計量ハカリが、
客の面前に置かれてあるはずはない。
あうはずのないその計量器が、どうしたわけか見えないかたちで置かれている。
その家によって目盛りの違う、心の器のようなものかもしれない。
それを感じるからこそ、人は贈答品に、あれこれ頭を悩ますのだろう。
後略