日本ボクシング連盟の会長が助成金の流用や不正判定の疑惑について、300人を超える関係者が会長を告発した問題だ。告発について連盟は、告発の内容は一部は認めたかのようだが、言い訳となっている。他の告発にはすべて虚偽だとのコメントをだした。そして、会長が放送各局のインタビューに応え、更には番組に出演するなど、物議をかもしだしている。
また、文科省の幹部が、汚職事件で相次いで逮捕された案件も話題になっている。
さらに、さかのぼれば、何回も本ブログでも述べているが、森・加計問題に関する、財務省・文科省などの、国会での首相周辺の答弁・・・など。
それぞれ内容こそ異なるが、対応等には共通性があると思える。すべて疑惑に対して、疑惑の当事者は、嘘や作り話により「説明」や「説明責任」を果たしているようだ。さらに、そこに潜むのは、「甘え」という構造も垣間見られる。当事者だけでない周辺の対応である「忖度」だ。忖度により、疑惑の当事者にとっては「私は関わっていない」「私は指示していない」などという「発言」が正当化されてしまう。そして、真相の解明をもあやふやにしてしまう。
さらに、悲劇的なことだが、幹部ではなく、部下が問題の責任をとらされる。財務相の公文書改ざんについては、部下等職員の落ち度であるというふうに、問題をすり替えてしまう。疑惑の当事者の責任は問われない。
これらの話に共通するかどうか分からないが、私が現役時代に体験したことを思い出す。
退職年齢の数年前、管理職として支社に赴任した。赴任早々、社用車で他社へのあいさつ回りをするということになった。会社の玄関前に社用車がきて止まった。私が運転手に手を振り挨拶をし、乗ろうとしたら、速やかに運転手がおりてきて、後部席のドアを開けてくれた。それまでも社用車には何回か乗ったことはあったが、すべて自分で運転するか、運転手付きでも自分でドアを開け乗っていた。
この時私は微笑みながら「ありがとう」と言って乗った。微笑みは照れを隠す意味もあった。しかし、他の先輩幹部は運転手の行為に甘んじて受け入れているようだ。私も慣れるにつれ運転手がドアを開ける行為は当たり前に感ずるようになっていった。その後降車時だけは自分でドアを開けるようにした。
この記憶はいまでも鮮明に思い出される。最初の体験の「照れ」には、照れだけでなく、決して悪い気はしなかった。これが「管理職になるということか」という驚きもあった。
しかし、その後「甘え」てはだめだという思いを忘れないように心掛けた。
ボクシング連盟の会長が座るイスは、黒い椅子が用意されているという。話だけでなく、映像も流れている。過去には、会長も他の参加者と同じパイプ椅子に座っていた映像もある。
忖度でそうなったのか、会長の要求で黒い椅子になったのか定かではない。だが、「椅子」一つの扱いでも権力者をさらに強い権威者にしてしまう危険がある。当事者だけでなく、周囲の心がけも工夫が必要だ。しかし、何よりも当事者の謙虚な態度と真摯な説明(責任)が最も重要なのは言うまでもない。
また、文科省の幹部が、汚職事件で相次いで逮捕された案件も話題になっている。
さらに、さかのぼれば、何回も本ブログでも述べているが、森・加計問題に関する、財務省・文科省などの、国会での首相周辺の答弁・・・など。
それぞれ内容こそ異なるが、対応等には共通性があると思える。すべて疑惑に対して、疑惑の当事者は、嘘や作り話により「説明」や「説明責任」を果たしているようだ。さらに、そこに潜むのは、「甘え」という構造も垣間見られる。当事者だけでない周辺の対応である「忖度」だ。忖度により、疑惑の当事者にとっては「私は関わっていない」「私は指示していない」などという「発言」が正当化されてしまう。そして、真相の解明をもあやふやにしてしまう。
さらに、悲劇的なことだが、幹部ではなく、部下が問題の責任をとらされる。財務相の公文書改ざんについては、部下等職員の落ち度であるというふうに、問題をすり替えてしまう。疑惑の当事者の責任は問われない。
これらの話に共通するかどうか分からないが、私が現役時代に体験したことを思い出す。
退職年齢の数年前、管理職として支社に赴任した。赴任早々、社用車で他社へのあいさつ回りをするということになった。会社の玄関前に社用車がきて止まった。私が運転手に手を振り挨拶をし、乗ろうとしたら、速やかに運転手がおりてきて、後部席のドアを開けてくれた。それまでも社用車には何回か乗ったことはあったが、すべて自分で運転するか、運転手付きでも自分でドアを開け乗っていた。
この時私は微笑みながら「ありがとう」と言って乗った。微笑みは照れを隠す意味もあった。しかし、他の先輩幹部は運転手の行為に甘んじて受け入れているようだ。私も慣れるにつれ運転手がドアを開ける行為は当たり前に感ずるようになっていった。その後降車時だけは自分でドアを開けるようにした。
この記憶はいまでも鮮明に思い出される。最初の体験の「照れ」には、照れだけでなく、決して悪い気はしなかった。これが「管理職になるということか」という驚きもあった。
しかし、その後「甘え」てはだめだという思いを忘れないように心掛けた。
ボクシング連盟の会長が座るイスは、黒い椅子が用意されているという。話だけでなく、映像も流れている。過去には、会長も他の参加者と同じパイプ椅子に座っていた映像もある。
忖度でそうなったのか、会長の要求で黒い椅子になったのか定かではない。だが、「椅子」一つの扱いでも権力者をさらに強い権威者にしてしまう危険がある。当事者だけでなく、周囲の心がけも工夫が必要だ。しかし、何よりも当事者の謙虚な態度と真摯な説明(責任)が最も重要なのは言うまでもない。