今日は終戦記念日、政府主催で「戦没者追悼式」が行われた。
午後のニュースの解説では首相の挨拶は、6年連続で戦争責任についてふれられなかったことをコメントしていた。
自国民については、戦争もしくは戦禍でなくなった人の追悼を行っているのに、他国に侵略したことについては、反省の意を示さない。
アメリカの許しを得ているので、反省や責任は問われないと解釈しているのだろうか? または、自らは戦争に加担していないから、反省しなくてもよいと思っているのだろうか?
さらにこの式辞の中で、私は二つの文言が気になった。首相が昨年来、乱発する単語だ。「謙虚」と「真摯」だ。
「・・・歴史と謙虚に向き合い・・・」「・・・争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み・・・」とある。
首相のことことばには、重みがない。昨年来の森友・加計学園問題等についても何べんも、「謙虚」「真摯」ということばを使い、「膿を出し切る」まで発言してきたが、実行が伴っていないことは言うまでもない。
一方、天皇陛下のお言葉では「・・戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、・・・世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」と述べておられる。「反省」というお言葉を2015年から使われているという。そして、最後のお言葉にも「深い反省」と述べられている。天皇陛下は終戦を疎開地で迎えられたとのこと。天皇陛下も直接戦争には加担されていない。しかし、旧日本国が犯した過ちを真に「真摯に」反省しておられる。そして、誰よりも世界の平和を願っておられる。
首相の式辞の中には「平和」という言葉を2回つかっているが、「今日の平和と繁栄が・・・」「我が国は平和を重んじる国」と自国の繁栄と平和を強調している。首相の文言は我田引水のニュアンスが強い。
韓国では、今日は日本の侵略から解放された記念日としている。韓国の人の中には、単に第2次世界大戦時の占領だけでなく、秀吉時代の朝鮮出兵による「日本による統治」の歴史も含んでいる。秀吉が行ったので知らぬとは言えない。歴史の重みは深い。文化的には中国や韓国からの恩恵を受けている。これら、感謝と反省の意を表して、アジアの同胞として手を繋いでこそ、真の平和づくりができると思う。
わが国の象徴である天皇陛下が、戦争を起こした深い反省を述べ、世界の平和を願っておられるのに、首相は、反省はしない、我が国の平和を強調しているとは、僭越ながら情けない限りだ。
午後のニュースの解説では首相の挨拶は、6年連続で戦争責任についてふれられなかったことをコメントしていた。
自国民については、戦争もしくは戦禍でなくなった人の追悼を行っているのに、他国に侵略したことについては、反省の意を示さない。
アメリカの許しを得ているので、反省や責任は問われないと解釈しているのだろうか? または、自らは戦争に加担していないから、反省しなくてもよいと思っているのだろうか?
さらにこの式辞の中で、私は二つの文言が気になった。首相が昨年来、乱発する単語だ。「謙虚」と「真摯」だ。
「・・・歴史と謙虚に向き合い・・・」「・・・争いの温床となる様々な課題に真摯に取り組み・・・」とある。
首相のことことばには、重みがない。昨年来の森友・加計学園問題等についても何べんも、「謙虚」「真摯」ということばを使い、「膿を出し切る」まで発言してきたが、実行が伴っていないことは言うまでもない。
一方、天皇陛下のお言葉では「・・戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、・・・世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」と述べておられる。「反省」というお言葉を2015年から使われているという。そして、最後のお言葉にも「深い反省」と述べられている。天皇陛下は終戦を疎開地で迎えられたとのこと。天皇陛下も直接戦争には加担されていない。しかし、旧日本国が犯した過ちを真に「真摯に」反省しておられる。そして、誰よりも世界の平和を願っておられる。
首相の式辞の中には「平和」という言葉を2回つかっているが、「今日の平和と繁栄が・・・」「我が国は平和を重んじる国」と自国の繁栄と平和を強調している。首相の文言は我田引水のニュアンスが強い。
韓国では、今日は日本の侵略から解放された記念日としている。韓国の人の中には、単に第2次世界大戦時の占領だけでなく、秀吉時代の朝鮮出兵による「日本による統治」の歴史も含んでいる。秀吉が行ったので知らぬとは言えない。歴史の重みは深い。文化的には中国や韓国からの恩恵を受けている。これら、感謝と反省の意を表して、アジアの同胞として手を繋いでこそ、真の平和づくりができると思う。
わが国の象徴である天皇陛下が、戦争を起こした深い反省を述べ、世界の平和を願っておられるのに、首相は、反省はしない、我が国の平和を強調しているとは、僭越ながら情けない限りだ。