標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

平等とは単に比率を同じくするという意味ではないと思うが?

2018-08-11 19:56:09 | 日記
東京医科大学不正入試の問題について、文科省は10日、全国の医学部医学科に対する緊急調査を始めた。対象は国公私立の計81大学で、男女の合格率の違いや、受験生によって合否判定で扱いに差があるかなどについて調査するとのことだ。

問題の発端となった、贈収賄にからむ不正入学は言語道断だが、男女の合格率の違いについては、議論の余地がありそうだ。

東京医科大の場合は、明らかに女性の合格者を少なくする操作があったようである。これは決して好ましいことではない。しかし、これは同大学だけ、そして医学部だけの問題であろうか?

すでに50年前の話になるが、私が入学した学科のクラスは30数名中男子は6名であった。学科のある教授が話していた。入学試験だけの成績では、女子の方が圧倒的に成績が良い。何とかならないものかと嘆いておられたのを覚えている。そして、次の年度から男子の占める割りあいが4割ほどに増えた。どんな工夫があったのかは分からないが、男子の割合を多くしたようである。

高校時代に遡るが、当時県内に学区があり、中卒後は決められた地域の高校に進学した。私は、その昔は男子校だったが、入学時には女子が1割ぐらい占めるようになっていた。しかし、一般的には学区内での、伝統的な唯一の男子校としてその名が知られていた。そして、学区内には、男女共学校が3校、女子高が2校あった。つまり、私が所属していた学区では、女子のほうが有利だったようである。

私が育った環境は、小中学校と男女共学であったし、学区内の高校は、男子校はないのに女子高が2校もあった。大学は圧倒的に女子の方が多かった。比率からみると、女性が差別を受けている環境ではなかった。

日本国憲法における男女平等が謳われている箇所は、第14条第1項だ。「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」となっている。重要なのは「差別されない」というくだりであろう。つまり、単に平等だからすべて等しいということを述べているのではないということだ。個々人、身長や顔付、性格など生まれつきもしくは後天的な特徴を持っている。一人ひとり違う。やや理屈的になるかもしれないが、平等というよりも違いのあるのが人だと思う。違いによって差別されないということが重要だ。それも、単純に比率を同じにするということではない。比率とは別に相互の理解、関わりが大切だ。

皇室典範では、第1条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」となっている。憲法の14条でいう「性別により・・・差別されない」と矛盾する。
わが国の「差別」という概念が、根強く残っているのは、この辺のところにも一因があると思われる。
コメント
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