標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「もう過去には戻らない...」と決意。心因性発声障害を克服した、森友嵐士さん。

2018-08-29 20:00:39 | 日記
午前中の要件をすまし、遅めの昼食をした後、テレビを見ていたところ、NHK総合の「ごごナマ」のゲストが、T-BOLANのボーカル、森友嵐士さんだった。「歌声を失った壮絶な14年間・復活までの軌跡」というテーマで森友さんが語った。

1999年に、声が出なくなり、他のメンバーのことを気遣い休止でなく、一気にT-BOLANを解散した。何か所も病院をめぐったが、原因が不明であった。最後に行ったところで、心因性発声障害と診断され、衝撃は大きかったとのこと。

ボイスセラピストの専門家であるボイストレーナーに出会った。ボイストレーナーは、何回通っても通院までの1週間の出来事を話しなさいという。1週間の出来事などを話す治療が続いた。そして、「魚釣りを仕事としなさい」と言われた。ボイストレーナーは、とても重度の障害だと把握し、歌わせないと判断したのだ。

もともと魚釣りが趣味だったので、その後魚釣りに熱中した。リハビリ中に一般の人が行う、一生分の釣りをしたと語る。

「もう過去には戻らない。ここからが出発」だと決めた。そして、リハビリとして、「上を向いて歩こう」を歌うことにした。ひらがなで歌詞を書いて、声が出なかったところをチェックした。回数を重ねるにつれ、チェックが少なくなってきた。

また、2011年の震災の被災地で、ボランティアとしてタイ焼きを焼いていた。最初は素性が分からなかったが、ある時「森友さんでしょ?」といわれ、「歌が聴きたい」「T-BOLANはもうやらないの?」と声をかけられたのが復活のきっかけだという。
その後、T-BOLANメンバーで山中湖近くで3日間過ごし、もう一度T-BOLANをやりたいと話したことから、復活の話が始まったという。

森友さんは、番組が始まってから約45分間、声が出せなくなってからの苦悩、グループの解散、リハビリの過程、他のメンバーとの関わり、T-BOLANの再結成に至るまでを熱心に話していた。

終盤には、ピアノの弾き語りで、「上を向いて歩こう」、「離したくはない」を歌った。

最後に森友さんは、「かつて100万枚という単位でヒットした。それだけの人が効いてくれた。今後は全国をツアーし、その人たちの前で歌い感動を共有したい」という旨を語っていた。

また、視聴者の同じ心因性発声障害を経験している人からのメッセージとして、「森友さんのように前に向いていきたい」と紹介された。

森友さんの語りは多くの人に勇気を与えたこととだろう。
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