標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

備忘録(ミューオンによる透視)、素粒子に興味を持った理由とともに

2017-11-10 20:14:51 | 日記
先日、ミューオンを活用してピラミッドの透視をしたところ大空間を発見したニュースを取り上げた。その後、どうしてもミューオンのことを備忘録として残しておきたいので、今日は、書いている。



そもそも私が素粒子に興味を持ったきっかけは、30年以上前の体験からだ。当時、パソコンを全く知らない人に教えなければならない課題が生じた。

(それまでは個人的にワープロ専用機を使っていた。職場ではパソコンが導入され文書処理を行うようになったが、当時は職場でもほんの数台しかなく、共用であった。)

当時は、ソフトをフロッピーから立ち上げ、作業をしていた時代だった。私も仕組みは分からず、操作手順やキーボードのタッチタイピングを訓練性に教える程度だった。ある時訓練生から、パソコンってどのように動いているの?と問われ、返答に窮した。

フロッピーのなかにワープロとして動くように、プログラムが書かれている。それをパソコンに読み込み、記憶させる。キーボードから入力された情報を処理して、結果を画面に表示してくれる。といった、概略を説明するのが精一杯であった。その時はそれでよかったが、更に訓練生の方がバージョンアップし、やがては「2進数」について説明するまでに至った。高校時代から数学や物理は苦手で興味もなかった。しかし、訓練生の質問に応えるために、何とか学習し、対応していった。やがて、コンピュータの仕組みも分かってきたので、自宅でパソコンを自作するに至った。

飛躍するが、パソコンの働きの根底には「電子」が大いに活躍していると理解した。電子は、原子の大事な要素だ。そして、それ以上分割できない素粒子だ。

やがて、生きている物質も、石のような物質も、宇宙にあるあらゆるものは、原子という小さな粒の組み合わせで成り立っていてることを知る。更に原子は、原子核と電子から成り立っている。原子核は陽子と中性子からできている。電子には自由電子というものが存在し、自由電子の作用が電気となっている。

原子までは、光学顕微鏡で見ることはできるようだが、それより小さい素粒子となると見ることができない。しかし、目に見えなくとも、手で触れられなくても、小さな世界を調べることができる。X線を利用した構造解析などは、撮影して間接的な画像によりX線の存在を知ることができる。これと同様にミューオンという放射線を利用して、クフ王のピラミッドに大空間があることが分かったというのだ。

ミューオンは、第二次宇宙線といって、地球の大気の中でできた素粒子だ。宇宙から飛んでくる多くは、陽子1個でできた水素原子核。これが地球の大気と衝突(反応)し、幾つかの生成・衝突を経て、ミューオン、ニュートリノ、中性子、ガンマ線や電子・陽電子などが、地上に降り注ぐということだ。

ミューオンは物質を通過する力が強い。特殊加工した原子核乾板の中をミューオンが通過する。その乾板を現像すると、ミューオンが通過した飛跡が銀粒子となって3次元的に並んだ点の列として記録される。これを光学顕微鏡で観測し、通過経路やどの方向から来たのか(入射角度)を知る。

このデータをコンピュータでシミュレーションすることで、ミューオンの濃淡により物質の密度を知る。ミューオンがより多く検出されたところ(透過率が高い)は、物質の量が少ないことを表し、空間があると推定されるとのこと。

以上が今回私が理解したところだ。間違っているところもあるかもしれない。しかし、とてもすごい技術だと思ったので今、理解しているレベルで記述した。素粒子のことは、その時は分かったつもりでも、後々、チンプンカンプンになることが多い。故に、私の備忘録として、今日は書いた。
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紅葉したドウダンツツジなど、そして山茶花も見ごろの庭

2017-11-09 19:40:00 | 日記

家の南側あるドウダンツツジ。道路から見るときれいだ。
妙義山に行ってから9日経った。我が家の木々もそれに劣らず色づいてきた。以前にも紹介したモミジ、ブルーベリーのほか、ドウダンツツジもみごとに紅葉してきた。紅葉の見ごろは木々によって、同じ土地でも場所によって異なる。局所の様々な環境要因が影響するようだ。お隣の木はすでに紅葉の頂点を終え、葉が散ってしまっている。


ドウダンツツジを横から見たところで、半分が見えている。後ろの方に同じくらいの長さで続いている。


以前紹介したが、ブルーベリー越しにみたモミジ。妙義山で見たモミジより紅葉が濃くなっている。


庭にある置石(岩かな、横1m、高さ50cmほどだ)に這っているツタ。へばりついて紅葉している。


赤い山茶花。2m半ほどの長さの地面に、5本植わっているうちの一本。


別な木だが、ピンク色の山茶花。


山茶花は、葉に埋もれて咲いていたり、下向きに咲いていたりする。この白い山茶花は、木の下部だが、幸い横向きに大きく咲いていた。椿より花が開いてくれるので、花は山茶花の方がきれいだ。


これはつぼみの赤い山茶花。


チョコレートコスモス。チョコレートのような香りがするというので、妙義山の道の駅で買った。香りはよくわからないが、色はチョコレートっぽい。


ポストが壊れたので、容量の大きいものに新調した。別にトランプ大統領の来日に合わせたわけではない。単品セールだったので選ぶ余地がなかった。しかし、デザインされた住所がアメリカだった。良し悪しは別にして、トランプ氏は忘れそうにもない。そのポストの中棚に、飾ったキバナコスモス。


木につるしたオブジェにさしたキバナコスモス。

今日は、日差しは暖かったが、風が木枯らしのように吹いていた。1週間前に道路の落ち葉掃きを行ったが、今日の風でその時の倍ぐらいの葉が落ちている。いよいよ落ち葉掃きの季節がやってきた。良い運動になる。健康のために頑張ることにしょうと、自身に言い聞かせる時期だ。
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「(役作りは完璧を目指さず)近似値で良い。すると幅ができる」(尾形イッセー)

2017-11-08 19:41:39 | 日記

これは今日のNHKテレビ「あさイチ」で、ゲストのイッセー尾形さんの発言だ。

ここ数年妻と私は、朝ドラを見るのが日課になっている。通常は朝ドラが終わると、それぞれ妻は妻の、私は私の作業に取り掛かるのだが、何もない時はあさイチを見ることがある。

今日の私は、午前中にリビングで取り掛かる作業があったので、テレビを点けっぱなしにしていた。作業をしながら、司会のイノッチと有働アナウンサーが、ゲストの尾形イッセーさんに軽妙な話術で問いかけていた。イッセーさんはドラマなどで見る感じとはことなり、穏やかで、かつ、よどみなく話していた。耳だけテレビに傾けていても聞きやすかった。

今日は、じっくりとテレビを視聴していたわけではなかったのに、尾形さんの発言が私の耳に入ってきた。俳優としての役作りだったか、人形作りに関することなのかは、定かでない。「近似値で良い。すると幅ができる」という発言が私の耳に入り、残った。完璧を目指さないで、近似値で良い。すると演技などの幅が広がるということだ。役作りだけでなく、日常生活も含めて、何事にも通用する名言だと思った。

発言されたご本人もそれを強調するような口調でなく、さりげなく発した。イッセーさんは、日本における一人芝居の第一人者であることのほか、映画、ドラマ、バラエティ、CMなど多彩で、番組内で樹脂粘土による人形作りを行っていることも紹介されていた。直接面会したこともない司会者二人の指人形は、イノッチ、有働アナの表情を巧妙にとらえた、愉快で素晴らしい作品であった。

その後、私は暫く作業に集中していたが、再びテレビでの語りが、耳に入ってきた。有働アナが「イッセーさんの座右の銘は何ですか?」との問いかけだ。イッセーさんはウーと考えてから、さっきスタジオを通った時、目についた言葉があったという。すぐさまスタッフが張り紙を外して持ってきた。「自分の人生を使い切る」という書であった。私が見ていた時間帯では、何のために掲げていたかは説明がなかったが、イッセーさんはこの言葉を座右の銘に代えて答えていた。即興でこうした対応ができるのは、芸を重ねた老巧な証拠だ。私は「重ねた」と表現したが、本来は「極めた」と言いたかった。しかし、極めでなく近似値的な表現を使った。

黒島結菜さん主演の土曜ドラマ「アシガール」(残念ながら私たちは視聴していない)にイッセーさんも出演している。このドラマに出演していて、「青春を思いキュンとする」と言い、「人生を(青春と65歳の今と)、使い切るというより、使いまわしをしている」というニュアンスの発言をしていて、楽しそうであった。

見よう、聞こうと思っていたわけでもないのに、イッセーさんの幾つかの発言は、私にとって新鮮に聞こえた。私も、キュンとするかどうか分からないけれど、ブログの世界やボランティア活動のなかでタイムスリップを味わいたいものだ。
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戦後の日本も「アメリカ・ファースト」だったのでは?

2017-11-07 19:15:54 | 日記
イバンカさんとトランプ大統領が来日した1週間は、アメリカン・ウィークだった。警備は言うまでもないが、テレビ・新聞などメディアの大報道や道路・駅の利用など生活にも支障がでた。日本におけるアメリカ・ファーストだった。



私の幼いころを思い出した。
多分小学校4年生ごろまでは、外国人と言う言葉は使ったことがなかったと思う。また、日本や韓国、中国という区別も無かったかもしれない(戦前の日本・ファーストの名残?)。つまり、東洋人は漠然と日本人と思っていた。一方では、イギリス人であろうが、アメリカ人であろうがドイツ人であろうが、いわゆる白人は、すべて”アメリカ人”と呼称していた。外国と言えばアメリカだった。アメリカ・ファーストどころか、1にも2にもアメリカがすべてであった。

しかし、次第に小学校高学年になると、アメリカ以外の国の存在が認識されだした。何故今まで西洋人を見るとアメリカ人と言っていたのだろうかと、自問した。父母も周囲の人達もそう呼んでいたからだろう。高校や大学時代になって、幼少期における世間からの影響(教育?)は、多大なものがある。疑いもなく洗脳されていたのかもしれない。改めて戦前の「天皇陛下万歳」や「お国のため」「非国民」といった概念を受け入れなければならなかった時代は、恐ろしいと思った。

幼少時に住んでいた実家の西側は、あぜ道が南北にあった。あぜ道から田んぼを挟んで200mほど離れたところに、広い砂利道が南北にはしっていた。あぜ道からは砂利道が左右つまり、南北に500mは見渡すことができ、直線だった。今でいえば少なくとも3車線の幅はあった。何故ならばその砂利道を東富士演習場を往来する米軍の戦車などが砂煙りを舞い上げ走っていたからだ。時々休憩のためか、左右いっぱいに戦車など様々な戦闘車両が止まっていた。あぜ道から見るその車列は、子供の眼には模型の戦車のように思えた。戦争は知らなかった。

その車列に近づき、いわゆる「ギブ ミー チョコレイト」といって、貰っていた勇気ある友達もいた。私は軍用車に近づくのが怖く、眺めていただけだ。チョコレートをもらった記憶はない。

戦後直後に生まれた我々の世代の日本は、連合国軍の統治下におかれていた。前年に調印された「サンフランシスコ講和条約」が1952年4月28日に発効し日本の主権が回復した(沖縄の返還はあとになったが)。この中で戦争に加担した過ちを起こさないという固い決意のもと現行の日本国憲法ができ、今に至っている。

今回、ビジネスマンとしての本領を発揮したトランプ大統領は、日本への防衛装備の売り込み発言をした。一方、日本国内では、憲法改正が話題となっている。

国民的な議論がしっかりされない中、政党や内閣が主体となって改正論議が進んでいる。改正前から現行憲法の「国民主権」を犯していると言えるのではないだろうか?

憲法9条改正、防衛装備、自衛隊の海外派遣、武器の使用、集団的自衛権そして「「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」など物騒な文言・発言があふれている。戦前、戦時中に戻っていないだろうか?と、危惧される。

もし9条が改正されたら、苦難を背負うのは、将来の子供や孫たちだ。将来を担う子、孫たちに負の遺産とならないように願うばかりだ。
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「ピラミッドの大空間を発見」は果たして歴史的大発見なのか?

2017-11-06 18:40:12 | 日記

本題に入る前に、我が家の紅葉の紹介。
妙義山に行ってから5日が過ぎた。わが家の辺りは、今朝は2℃代まで冷え込んだ。庭にはブルーベリーとモミジの葉が紅葉している。妙義山に劣らない色づきだ。


11月4日付け朝日新聞の番組表

先週の土曜日(4日)NHKスペシャル「エジプト大ピラミッド透視で巨大空間現る!日本人が歴史的大発見 ミイラや黄金はあるか」と長々しい表題で新聞のテレビ版に載っていた。興味があったので視聴した。

私が20歳半ばまで過ごした実家だが、道路を挟んで東側には、丘陵の登り口があった。人がひとり通行できるほどの小道だ。犬の散歩がてらよく登った。丘の上から南を眺めると相模湾、西には箱根連山が一望でき、その奥には富士山がそびえていた。そんな眺望の良い丘陵一帯は縄文時代の遺跡が出土していた。調査がおわって荒れ地となった丘に行くと、土器や石器のかけらがあって、それらを収集するのが密かな楽しみであった。

そのようなこともあって、和洋を問わず古代史には興味があった。中学時代にはツタンカーメンの黄金マスクの展示を見に上野まで行ったことがある。それ以来、発掘に係るドキュメタリーやエジプトの歴史に関する物語に興味を持った。過去の遺跡を探るというのはロマンティックでミステリアスだ。

今回、放送の冒頭でツタンカーメンに次ぐ大発見か?などと、アナウンスされていた。
しかし、視聴後は一つの事項(ミューオンを使って透視する技術)以外は失望した。NHKが今回の調査に初めから関わっていたので、自己宣伝したかったのだろうが、大発見という触れ込み内容は期待外れであった。クフ王に関するミイラや黄金が発見されたわけでもない。30mの巨大な空洞があるのが分かっただけだった。放送後、表題に偽りありの感が歪めず、落胆した。

くしくもこの放送の翌日、「エジプト考古学者、ピラミッド内に空洞発見の発表を批判」という記事が配信された。それも、スキャンピラミッド科学委員会のザヒ・ハワス委員長による発言だ。これは新たな「発見」ではない、ギザの大ピラミッドはもとから空洞だらけで、空洞がみつかってもそれが直ちに秘密の部屋の存在や新発見にはつながるものではないという。

このエジプト考古学者の発言に表出されている通り、放送された内容は、「空洞が確かめられた」といった方が適しているのではないか、と、思うのは私だけでないだろう。
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