標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

暑さに負けぬ赤々としたエキナセア。「国会も活発な議論を」と期待するのは酷かな?

2018-06-25 19:48:31 | 日記
斜面に咲きだしたエキナセアが一輪、いつもより際立って赤く見えた。日中の暑さを予感させる朝だった。案の定最高気温は34℃まで上がった。


エキナセアを見ると、その瞬間は暑さを忘れる。エキナセアは暑い盛りに咲くのが当たり前と納得するからだろうか。

果たして、国会の参院予算委員会では、暑さに負けぬ、活発な議論がなされるだろうかと思い、午後の国会中継を見た。しかし、言うまでもなく、ほぼ期待外れだった。いつものように議論らしい議論はされなかった。ある議員は、テレビカメラの方を向いて、所属政党の宣伝に時間を費やしていた。また、何回か速記を止める審議中断があったが、質問に対して、例のはぐらかしの答弁を繰り返しての中断だ。そして、スムースに時が流れたかと思えば、手元の原稿を読んでいるだけだ。さらに、野党の追及に「その質問は予め通知されていないのでお応えできない」と逃げの姿勢だった。

これでは若い人たちが、政治離れをするのもやむを得ない。大臣はじめ国会議員は、もっとまともに真剣に議論をしてほしい。

昨日、外国人記者が日本について意見する番組で、日本の国会は「議論」しているのだろうかと問題提起されていた。おおかた、議論がなされていないという意見だった。

ある哲学的解釈だが、「肯定の道」と「否定の道」というのがあって、通常の議論だけでは、両者の論理が交錯して膠着状態に陥ってしまう。ここで第3の道である「超越の道」によって、「肯定」と「否定」の両者の主張の調停を行うことになるという。

国会でも、大いに賛否両論があってよい。原稿などを読まず、真剣な議論をしてほしい。そして、単に数の力で押そうとせず、第3の道「超越」によって、課題に対するベター(もしくはベスト)な案を創出して欲しい。

真剣に賛否両論の意見を戦わせ、よりよい法案・制度をつくる。そのような国会であれば、必要なだけ延長国会を開催するのは許されるのだが。
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沙羅の木(夏椿)に思いを馳せる。私を鼓舞させられた歌の思い出。

2018-06-24 20:48:54 | 日記
わが家の玄関先の庭先に夏椿が植わっている。私たち家族がこの地にやってきた時に植えられた木だ。当時は妻と3人の子供と私の5人でやってきた。私の知人が、記念樹を送りたいと言う。私は樹木については詳しくなかったので、妻に聞いたところ、「夏椿」というので決めた。その知人のいとこである植木屋さんに、支え木を添えてもらい、丁寧に植樹していただいた。
お蔭でそれ以来、毎年、清楚でかわいらしい花が咲いている。


やや下向きに咲く花

妻も私も特に宗教信者ではない。後で知ったが、夏椿を沙羅の木ともいう。お釈迦様が亡くなった時に近くに生えていた沙羅双樹という樹があり、仏教で聖木とされている。昔、僧侶がわが国にも沙羅双樹があるはずだといい、探したところ夏椿が沙羅双樹だということで、沙羅の木と呼ばれたそうだ。

沙羅の花は、咲き始めに気づきにくい。地面に落ちた花をみて、上を見上げると沙羅の花が咲いている。咲きだしたと認識する。朝開き夜には落ちてしまう1日花だ。


つぼみが真珠のようにきれいだ。


花が散った後は、このように実を結ぶ。


一年前の種がはじけ、残る黒く枯れたガク?


夏椿の幹肌のはがれた後がサルスベリのようにスベスベしている


こちらはサルスベリの幹肌

沙羅の花を見ると、50年近く前のことを思い出す。大学時代、ある研究会で、仏教に親しい他大学の学生が歌っていた歌だ。次のような歌詞だが、正確かどうか、私の覚えている部分だけかもしれないが、今もメローディー付きで思い出される。
「東の空に 瑠璃色の朝日と輝く 人ひとり・・・衆生済度の草枕 旅に出る」
そして、この歌のどこかにまたは、タイトル化の中に「沙羅双樹」という言葉が入っていたような気がするのだが? 或いは「平家物語」の一節と重なっているのか? 私の連想かも知れない。

研究会のメンバーの誰が歌い始めたのかは、思い出せない。確かなのは私が所属していた大学でないことは確かだ。同級生の多くはクリスチャンだったから。
この歌は、正に仏教の世界だ。。そして、歌詞は何となく、その後の私の人生に影響を与えてきたといえる。ただし、私は悟りを開く者ではなく、常に、「衆生」のひとりで、何かに突き当たった時に、この歌によって、徹頭徹尾一人になれる。そして、再び前に進める。そんな、不思議な爽やかな力が出てくる歌詞だと思う。
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沖縄慰霊の日:中3の相良倫子さんの平和の詩の朗読「生きる」を視聴して、感動した。

2018-06-23 21:17:51 | 日記
朗読は、「私は生きている。マントルの熱を伝える台地を踏みしめ・・・」から始まり、沖縄の島の美しさを語り、73年前の戦争によってもたらされた悲劇を伝えた。そして、続く。亡くなった人々はみな「小さな幸せをよろこんだ。私と同じ人間だった」という。「戦争を絶対に許さない」。「国境、人種、宗教を超え・・・誰にも犯されない世界を作ること」。「戦争の無意味さ」。「あたりまえに生きること」。「一日一日を大切に」。「未来はこの瞬間の延長戦上にある。つまり未来は今なんだ」。「共に生きていこう」。「真の平和を」・・・。

相良さんの力強い語りは、平和に生きるという数々の言葉と共に、今でも耳に残る。そして、最後に「私は今を生きている」と語り、終わった。

多くの聴衆が感動していた。

相良さんは、一言一言かみしめるように、左右に顔を振り聴衆の方を見ながら訴えかけるように力強い朗読であった。そして、すべて暗唱だった。この後、安倍首相のあいさつだった。国会答弁でも見られるように、原稿を読み、「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります」。「私が先頭に立って、沖縄の振興を前に進めてまいります」と述べたが、いつものように言葉だけの内容や実行の伴わない挨拶だった。
首相こそ、相良さんの朗読をかみしめ、反省、反芻して欲しいものだ。

昨日だったか、テレビ番組で、若い沖縄の女性が、祖父から聞いた戦争体験の話と涙しながら描いた悲惨なスケッチ(胴体と頭部が離れて横たわっている情景)を持って、中学校を訪問しスライドを交えながら講義を行っていた。若者も戦争体験を伝えていかなければならないと思ったという。

戦争体験をした人たちが少なくなっている。私も父から戦争の話は聞いた。しかし、父は海外での戦闘兵として体験だったので、沖縄の人々の体験とは全く違っていた。私は、父から聞いた話では、戦争の残酷さは感じ得たが、子供や孫に語っていない。

沖縄の方たちは、相良さんが述べるように、「今の私達と同じように、戦時中の人たちも、それぞれの人生を思い描いていた。小さな幸せを喜んでいた。それが、戦争により奪われてしまった」
こうした体験を若い人たちが、「強い平和の願いを持って、今を生きていく」ために、沖縄の戦争体験を語り繋いで行くことが必要だ。私も私のできる範囲で孫たちに話してみようと思う。
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すぐにでも延長国会を中止して、震災の復興に経費を充当したらどうだろうか!

2018-06-22 20:13:24 | 日記
国会は、与党が意図するIR(統合型リゾート)法案などの成立を目指し国会の会期を延長した。

政権は、海外の観光客が利用することによって、経済が活性化されるという。しかし、カジノがない現在でも海外からの旅行客は増えている。つまり海外観光客はカジノのために来ているのではない。日本の日本らしさを求めてやって来ている。それなのにわざわざ、日本文化でない、カジノを導入しようとしている。自ら日本らしさを捨てようとしている。そして、ギャンブル依存症の増加というリスクも含んでいる。

総理は20日夜、自民党幹部らとの会食で集中審議について「もう勘弁して」とぼやいたと元官房長官が暴露した。また、副総理も昨日の派閥の会合で、サッカーの日本代表がコロンビア戦に勝利したことに触れ、「...ロスタイムが5分。長く感じた。国会の延長も同じだ。ロスタイムの間に下手な失点が起きないようによろしくお願いします」と発言した。ご本人はユーモアのつもりだったろうが、サッカーを暴騰した、かつ、延長国会を軽んじた、軽率な発言だ。副総理らしい発言だと、流して(暗に容認して)はならない。翌日、元官房長官は「総理は『「もう勘弁して』ということは言っていない」と発言を訂正した。先日の加計学園と同じだ。とっさに嘘をついたということなのか? 都合の悪いことは、嘘だったという。国民の代表者たる国会議員の言動は、この程度なのだろうか?

審議を嫌う総理、会期延長はロスタイムという副総理。それほど審議が嫌なら、延長しなければいいと思う。

国会の予算は、年間1100億円ともいわれる。単純計算でも1日あたり3億円だ。これには給与なども入っている。国会が開かなくても毎日経費はかかっているわけだが、開かなければ控除される経費があるはずだ。十分審議が必要な、働き方改革法案やIR法案は、今国会は廃案にして、当面与野党とも全会一致で成立させられる、国民生活に直結する法案の審議だけに留めればよいのではないか。それならば、短期間の延長で済む。そして、ねん出される経費を、今回の震災復興予算に充当したらどうだろうか。

苦しい答弁に執着するより、直接国民に還元できる、答弁と行動を示してほしいものだ。
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「夏至り メダカ買うなり 紫陽花(しちへんげ)」(季重なり):「美の山」公園にて

2018-06-21 21:17:01 | 日記
表題は俳句の形をとっているが、俳句では忌み嫌う季語の重なりだ。なのに表題は、季語が3つ。なので、俳句とは言わず川柳とした方がよさそうだ。しかし、駄作で申し訳ないが、今日の妻と私にとっては、表題に込めた事項は、すべて現実だった。


今日は二十四節気の「夏至」だ。もっとも昼間が長い日だ。これは私たちだけのことではなく、北半球すべてに当てはまる。当地は日中はどんよりと曇っていたが、夕方になって薄日が差してきた。ブログを書く前に、庭に出たところ、18時45分ごろの西の空は、まだ明るく薄青いところも見えていた。明日は晴れそう。

今日は、メダカを買いに寄居町にある、JAグループの用土農産物直売センターに行った。


購入したメダカとホテイアオイ

帰宅してから、ビニール袋に入ったメダカを水槽の水に浸しておくことにした。袋に入っている水と水槽の水の温度を同じにするためだ。一昨年はこの動作をしなかったために、メダカが全滅してしまった。昨年はしっかり水温管理を行ったために、未だにビオトープのなかで元気に泳いでいる。今年もしくじらないように一晩浸しておこうと思う。

メダカをこの時期に育てようとする目的の一つに、蚊の発生を防ぐためでもある。ボウフラがメダカの餌になるからというが?。 しかし、逆もあるらしい。つまり、メダカの稚魚だとボウフラに食べられてしまうので注意が必要だとのこと。
買ってきたメダカは比較的大きめなので大丈夫かな?


「美の山公園」から見た秩父市方面

ところで、寄居でのメダカ買いの後、車を走らせていたら、皆野町にある「美の山公園のあじさい」という看板が目に入った。即決で行ってみることになった。今日は早起きをしたので、いつもの外出より時間にゆとりがあった。美の山は秩父地方では珍しい独立峰なので、眺めがよいとのこと。今日は雲がかかっていて、遠方は霞んでいた。だが、近景は十分味わえた。

「美の山公園」春には桜、初夏にはツツジそして梅雨時はアジサイが、そして、秋には紅葉が鑑賞できる。




斜面に咲くアジサイを見上げて観賞

アジサイは斜面に広がっていた。お花畑だ。観賞路が整備されていて、頂上から見下ろすアジサイ、下から見上げるアジサイ畑。一株ごと、ひと花ごとじっくりと観賞できる。

山に登る途中ではほとんど他の車に出会わなかったが、公園の第1駐車場には20台ほどの乗用車が止まっていた。今週か来週末は混むだろう(第2、第3駐車場もある)。

今日は5分咲き程だっただろうか? 来週頃は満開のアジサイ畑が見られると思う。
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