日常にバカンスを!

お台場に住むakkiitaner(アッキーターナー)のまったりな日常とぼやきっぷり、っぷり。

8月22日、ドイツにて一生忘れられない日になる

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強

(きっと有名な彫刻家の作品に違いない。でも、知らぬが仏で娘もベンチに座り、
記念写真。数々のこういったカワイイ像がいろんなお店の外や中に置かれていて、
ユニークかつ面白かった。)

電話が鳴った。そりゃ、鳴るよね。
朝の7時、日本時間の午後2時に電話を下さい、
と言ってあったのだから。

緊張感が足りないかしら。
眠れない夜、といいながら、実はいつの間にか寝てしまっていた。
心を落ち着かせるために聞いていた「聴く聖書」が
連続再生のままで小さい音を出し続けていた。
ベットを出て、机の上のPCを止める元気もない。
そのまま寝そべった状態で、受話器をとる。
電話の主はシティ・バンクの「ナントカ調査室」の方。

私からカード紛失のいきさつをとっぷり聞こう、というわけ。
私としたら、スーといったらカーというような、
素早い対応で、「はい、それでは、ご安心下さい。出てこなかった200ユーロは
あなた様の口座に再びおもどしいたします」
と言ってほしかった。

でも、現実はとてもシビア。
まずは、私がどんな人間か(つまり詐欺とか、犯罪者とかではないか)
ということを含め、調査に入るという。
単純にキャッシュ・カードが飲み込まれただけなのに。

ただ、問題となったのはシティ・バンクのコンピュータ上では
私がお金を引き出したと記録されてしまっていることだ。

でも、私の手元には一銭もない。

私はとりあえず、怒りを飲み込み、いや、飲み込みきれず、
皮肉を言った。
「そちらにとっては、とるに足りない、預金額の少ない客なんでしょうが、
(でも、私がこの先、宝くじにあたないとは限らないでしょ!)
困った状況には変わりないんですよ。」
相手は老練なかんじの男性だった。怒りを消すのがうまい。
「いえいえそんなことないですよ、大切なお客様です」

結局、今朝、私がこちらの銀行とかけあわねばならず、
その結果を聞いた上での判断になるそうで・・・。状況は変わらなかった。
「シティ・バンクさんの方から、ドイツの(フォルクス・バンク)
銀行に問いあわることはできないのですか?」と
昨日さんざん聞いたことを、またしつこく聞いた。
すると、「規則でできないんです」と同じ答えが返ってくる。

さて、娘を起こし、朝食を食べ、
いざ、出陣!
いつもより、念入りにお化粧したし、
一番高そうに見える洋服を着た。
身につけるものはある意味、記号である。
この場合、相手には「ちゃんとした人でお金に困っているわけではない」
と思わせなければならない。

だから、
ドイツのプランド、ジル・サンダーの黒いワンピースに
プラダのナイロンバックを身につけた。

これらすべては、この旅行ではこの時初めて身につけた。

足下はいつもと同じビルケン・シュトックのサンダルにした。
というのも、ドイツ製のスグレモノだから、かえってモノの価値を知っている
人として好感度が上がる、と思ったのだ。


「こういうときはできるだけ、ちゃんとした格好をしなくてはいけないの、
あなたもちゃんと髪の毛を縛ってちょうだい」と娘に言うと、
すぐポニーテールにした。

8時半から始まる銀行に9時頃ついた。
本来は8時半に着きたかったが、何せ、現金がもうないので、
バスにもタクシーにも乗れず歩かなければならなかった。

昨日はぶらぶらお気楽に歩いたので、気にもならなかった距離が
今朝は俄然遠く感じられた。

汗がにじんでお化粧もくずれてしまった。

銀行に行くと、換金の係りが対応してくれた。
口ひげをはやし、威厳があって恰幅のいい中年の男性だった。
状況を話すと念入りにコンピュータをしらべ、
密封してあった封筒から私のシティ・カードを取り出した。

私の身元を示す、パスポートを提示して
さらに事情を話そうとすると、
人差し指を口にあて、「黙っていて」と合図を送ってくる。

再びコンピュータで念入りに検証を始めたのだった。
内心、気を散らしてゴメンね、と素直に思えたのも、
相手の態度がとても真摯な感じだったからだと思う。

さて、検証内容をプリントアウトしてそれを見ながら、
丁寧に説明してくれた。
「カードが機械から出てきたとき、カードをとらないと
引っ込んでしまうんだよ。カードをとらなきゃ、お金は出せないしね、カード
は15秒間でとらなければ、引っ込んでしまうから、気をつけて」という。
娘に気をとられて、カードを見逃してしまったのだろうか・・・・!

さて、やはり、
私のお金はドイツの銀行から受け取ることは出来なかった。
「我が銀行にはお金はいっさい入ってないんだよ。そもそも君のこのカードは
キャッシュ・カードじゃなくてクレジットカードだよ。
ほら、ここにVISAと出ているだろ?」とプリントアウト下ばかりの紙を
私の方に向けその箇所を指さした。

つまり、こういうことだった。
私のシティ・バンクの口座→VISA→フォルクス・バンク→VISA
という経路をたどって私のお金が、VISAのところに戻ったという。
「でも、私の銀行はもうトランザクションした、といいはるのよ」
というと、「実際はVISAに戻っているんだから、通常また君のところに
もどされるはずだよ」という。
「ほんとうに?」というと
「本当に」と安心させてくれた。
「そのプリントアウトしたもの下さらない?」と聞くと
「いろんな暗号が載っているから無理なんだよ、
通常は絶対かえってくるから大丈夫、念のために名刺をあげよう」
と親切にもその担当者は名刺を下さった。

「バーデン・バーデンを楽しんでね」と最後に明るく言われ、
「わかった、ありがとう」と返して、銀行をあとにした。

さて、カードが戻ってきたのだから成功といえそうだ。
シティ・バンクの人から、「お金はまず、もらえないでしょうが、
カードも返してもらえない場合もありますから」
とさんざん脅されていたのだ。

ただ、カードを返してもらう時、
パスポートのサインが漢字なのに、カードのサインはローマ字なので、
2つサインをするはめになったが・・・。
(しかも、パスポートのサインもシティーカードのサインも
慣れないサインで似せるのに困った。だから、
ドイツの人が、今書いたサインここの部分がカードのサインと違うよ、
と言ってきたらもうお手上げだった。
ありがとう、私を信じてくれて、と心から思った)

さて、あとはシティ・バンクの調査部の人からの電話を待つだけだった。

そして、調査部の人にこちらの銀行とのやりとりを包み隠さず話し、
「それだったら問題なさそうですね、さらに調査してすぐ返金できるかどうか
ご連絡します」と言われ、かなり返金への道は明るくなったようだった。

自分の銀行よりドイツの銀行の方がずっと親切な対応だった。
なんだか、複雑な心境だ。

200ユーロがこの先戻ってくるかははっきり分からないままだったが、
キャッシュ・カードが戻ってきたのだから、お金をおろせる。
バンザイ!

ただ、それには本人である私がもう一度、シティ・バンクの
カスタマーサービスに電話をして、
カードを有効にしてもらわなければいけなかった。一応止めてあったからね。

電話先で女性が
「一度紛失なさったのだから、暗唱番号をおかえになって下さい。
今からできますが・・・どうしますか」というので、
「今は海外にいるので、帰国したらすぐそうします」と言っておいた。

帰国して10日は経ったが、
まだ、暗証番号を変えていない。

もし、悪いことが起こるとしたら、
あの優しかった銀行員が悪いことをしたことになる。
あり得ないよね、そこまで疑うのは・・・・ちょっとぉ。

でも、一応、暗唱番号は変えておこう!


ところで、
万が一、カードが戻ってこなかった場合、だうしたかって?

他のカードでキャッシングをする必要があったが、
私は生憎どのカードにもキャッシング用の暗唱番号を持っていなかった。

つまり、キャッシングができなかった。本当に窮地に立たされていた。

が。娘には頼れる父親がいた。この旅行にはいないだけで・・・。
つまり、私の夫にSOSを送った。
そこで、娘を愛する夫がアメックスと交渉して、
(不測の事態ということで)
PIN codeを特別に設定してドイツからアメックスのカードで
キャッシングできるようにしておいてくれた。

夫にも報告しなければ、とすぐ電話を入れた。
「よかったよ、ところで、
アメックスとの交渉、すごく粘ったんだぞ」と夫。
うんうん、ありがとう。
交渉は本当に大変だったと思う、規則第一で、融通きかないもん。
でも、夫はいったいどうやって、交渉したのだろう、
その秘訣を今度習っておこう。
録音テープをもらいたいくらいだ。
持つべきモノは夫。
しかも、交渉術にたけた・・・!
改めて夫に感謝したのはいうまでもない。
もちろん、アメックスにもね。



(SUSHI SAMURAI : In Viktoiahaus Sophienstr.3 76530 ℡ 07221/393734 )

娘はこの件に関する一連のやり取りをずっと聞いてきて、
相当に反省したようだった。

昨日まで
「お金おろしたら、学校で使える洋服を買って」
などとねだっていたのに、とてもしおらしい。

戻ってきたカードでお金をおろすときも、
「もう絶対、手を出さない」と言って
極端すぎるほど後方に立ち、私がお金を引き出すのを待っていた。

実はこの時お金を引き出すのがどんなに恐かったか!
「また、飲み込まれたらどうしよう?」と思って手が震えた。
3万以上だと飲み込まれてしまったとき、
面倒くさい調査が入るのを知ったので、
150ユーロを指定した。(海外では画面上で
6パターンくらいの金額を提示してくるので、
その中から選ぶようになっている)

無事おろせた時の安堵感。
日頃何気なくやってきたことも、
実は本当にありがたいことなんだと思い知った。

さて、現金を手にして、すぐ考えたこと。
お腹がすいた→何か食べる
であった。

昨日、回転寿司を見つけたのでそこに向かう。
「ママ、ちゃんと日本人が作ってくれるのかなあ」
と心配する娘に、
「日本人じゃなかったらやめよう」
とこたえた。

マルタ島でとんでもないラーメンを食べてきたので、
そこは案外、譲れない部分。バーゼルでは日本人が握っていたし。

日本料理は日本人が作るのでなきゃ、と心から思う。

幸いなことに、店内には3人もの日本人がいた。
1人は板前で寿司を握り、
1人は母子の親子なのか、
レジのところで事務的なことをしている様子。

一番いそがしそうだったのは、
やけに愛想のいいウエイター(外人)のおじさんだった。

ここは日本人がオーナーかしら、とふと思った。

当然店内では日本語が飛び交った。
寿司職人が身の上話までしてくれたのだ。
波瀾万丈の彼の人生のその最大のものは
ドイツにまできたことだったのだろう。

そのドイツにまでくることになる、いきさつを語ってくれたのだ。
「自分が雇っていた人間の保証人になっちまってね・・・・・・」
と話し出した。

簡単に言えば
被保証人が作った借金(3億5千万円)をかた代わりすることになり、
自分が寿司やの職人兼オーナーとして築いた
すべての資産を売って返金したのだそうだ。
3億ものお金を30日の間に作って、返したのだという。
残りの5千万が本当に苦労の種だったのだとか。

自分で築いた財産を人のために売り、
さらにドイツにきて寿司を握っているなんて、
そのおじさんは60歳は過ぎて見えたので、本当に胸が痛んだ。
200ユーロが戻ってこようがこまいが、おじさんの陥った自体に比べれば
本当にちいっぽけなことだ。

おじさんの握ってくれる寿司を心より感謝して味わいながら食べた。

芸は身をたすく、というけれど、
オジサンは腕一本で生きていける。
財産は消えてしまうけど、オジサンの腕と粋な心はなくならない、
私はそのなくならないものを持っているおじさんがむしろ羨ましい。

「いいですね、その腕一本で海外でもやっていけるんですから」
と心から思って言った。
「いやあ、そうなんです。本当に寿司が握れてかったですよ」
という。
本当に苦労を知っている人は、本当に大切なものが何かを知っている。

「日本に帰るたびに、近くの小学校に行って、
ドイツのことや世界の話をさせてもらってるんですよ。
すると、子どもたち身を乗り出して聞いてくれる。
まだまだ日本も、子どもには期待できますね。
これからは語学ができなくちゃ、お嬢ちゃんがんばんなよ」

と娘にエールを送ってくれた。

娘がネギトロを何回も頼むので(予算上)ヒヤヒヤしたが、
「ちょっと、何で今朝銀行に行ったのかを忘れないでちょうだい」
と低い声と言うと、娘のオーダーの中心が
ネギトロからカッパ巻きに変わった。

ところで、簡単にカッパ巻きといっても
日本産のキュウリがなかなか手に入らない海外では
カッパ巻きを食べることも
ぜいたくなんだけどね。





---世界で最も美しいカジノへ #バーデン バーデン

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強
少しほっとして、お腹も良くなると、
カラカラ浴場でくつろぎたいという願望が頭をもたげた。

でも、朝慌てて出たので、
水着まで用意できなかった。

「水着がなくてもいい、裸で入れる温泉があるけれど、
そこへ行ってみる?」
と娘にきくと、
「うん、はだかでもいいよ、行きたい」という。

さて、その「フリードリヒ浴場」は
カラカラ浴場の傍にあり、
すぐたどり着けた。
とても格式のある古い建物で
エントランスからしてカラカラのカジュアルさはまったくない。

ヨーロッパ屈指の豪華な浴場
ときいていたが、
気軽に子どもと一緒に入れるものだろうか・・・・?

疑問はすぐ浮かんだが、
入り口にはってあった情報
目を丸くした。

「今日は水曜よね、
あら、今日は混浴の日だわ。
男の人も一緒に裸で入るんだって」
と私が嫌そうに言うと、
「いやあだ、ママ、気持ち悪い」と娘。

これはまったく以心伝心だった。
自分のハダカも積極的に
見せたくはないが、
見知らぬ男の人のハダカとなれば、
もっともっと見たくない。

さて、
どうしても温泉に入りたくなったら、
ホテルに戻って、水着をとってくる、
それしかなさそうだ。

しばらくは、バーデン・バーデンの町を探索して楽しむことにした。




(カジノ近くの木陰のテラス)





(世界で最も美しいと言われているカジノ。Kurhaus und Casino http://www.lcasino-baden-baden.de )


---突然の訃報が届く

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


さて、続けて町の散策をする。
気になるお店を巡ってみることに。

お店めぐりといっても娘と一緒なので、”勉強道具でしょ、やっぱり!”
と文房具やさんに入る。

ドイツ製の性能がよさそうな文具が並ぶ。
お見事、どれもこれも日本では超高級品として売られているものばかり。

その中で目を引いたのが、このリボンだった。(上・写真)
シックなセンス!

ドイツの本屋さんでも本が沢山出ていて、
どうやら子どもたちに人気なのが
下の写真のFelixだった。


(これなんだろうと手にとってみたが、分からずに困っていたら、娘がやってきて
いとも簡単にナゾをとく。万華鏡のように覗いて遊ぶおもちゃだった。)


娘と2人でお店の商品を見ては品定めしていたら、
携帯電話が鳴った。

この携帯電話の番号を知っているのは
さっきのシティ・バンクの人か夫の2人しかいない。

どっちだろう、と思いながら携帯をとって、
ボタンを押したが、なれない操作で間違って切ってしまう。

でも、また、すぐ電話が鳴ったので、
急ぎの電話のようだわ、シティ・バンクかしら、
と思って今度はうまく通話を押すと、実は夫からだった。

何だか様子が変だ。
「どうしたの? 何かあったの?」

と聞いた。でも、それから夫が言ったことは
その時の私にはまったく予想もしていないことだった。
なんといっても、
ついさっき、ドンベエ(愛犬)のお土産を買ったばっかりだったし・・・。

私の顔が豹変したので、
娘はすぐ察しがついたようだった。

「ドンベエに何かあったの?ママ?」と聞いてきた。
夫によれば、つい20分前にドンベエが死んだのだという。
夫が会社から帰ってエサをあげ、
しばらく他のことをしていて、ふとドンベエを見たら、
もう息がなかったそうだ。

「苦しまずにいったのね?」
とそれだけは確認したかった。
「ああ、眠るように・・・、まだ、体は温かいよ」
夫の目の前に、まだ体温が残ったドンベエが横たわっている姿を
想像した。夫も辛いだろうが、私より冷静で助かった。
「日本はすごく暑くて遺体がすぐ痛むから、葬式を先にして、
焼却してもらうよ」という。
「パパ1人にそんなことさせて、ごめんね」というと、
夫は「お前たちが帰ってくるまで、もたせられなくてごめんな」という。

もたせるもどうも、ドンベエくんはたった一日(つまり死ぬ前日)
食欲が落ちたなあ、
と夫に思わせただけで、あっけなく突然息絶えてしまったのだ。
旅行中何度も「ドンベエ元気?」と聞くと、
「すごく元気だよ」と言われ続けていた。本当に急なことだったのだ。

ドンベエは私がマンハッタンに
住んでいたときに買った、特別な犬だった。
特別なのは2本足で歩くとか、新聞を口でくわえてご主人さまに
持ってくるとか、そんなことではない。
いわゆる単なる柴犬だ。

ただ、
私の命、とくに心の命を救ってくれた無二の存在だった。

娘が生まれてからも赤ちゃんだった娘が泣き出すと
私よりおろおろして心配そうなそぶりを見せた。
ドンベエは娘が大好きだった。

一年前から足腰が弱ってきて、
胴体を支えながら散歩が出来るリーシュを買い、
よろよろ歩くドンベエを支えながら散歩したものだ。
この一年間、どんどん衰えていくドンベエを見るのが辛くて、
泣きながら散歩してきたと言っていい。

押し車も買ってあった。

お台場の海浜公園を片手で押し車を押し、
もう一方の手でリーシュをもって散歩したものだ。
疲れてきたら、すぐ乗せてあげられるよう押し車は必ず必要だった。

足こそ弱っていても、
相変わらずがんこな性格でてこずったこともあったが。
(足腰が弱いのに行きたい所へ連れていってもらえるまで、粘って動かなくなる)
お台場の海浜公園をそんな風に散歩していると、
いろんな人が声をかけてきてくれた。

「がんばれよ、わんちゃん」という励ましが最も多かった。

「今、何歳? うちの子(犬)もこうだったわ、歳をとると、
どの犬もしょうがないのよね、もういないけれど・・・」と見知らぬ人から
自分の犬がどんな最後だったのかを聞かされることもしばしばだった。

この旅行に発つ朝も、
ドンベエを連れてお台場の浜辺を散歩した。
足はもう全然立てなくなっていたので、押し車に乗せ、
草のところで下に下ろしてあげただけだったが・・・。

それが、最後の散歩になり、最後に見たドンベエの姿となった。
その散歩の時、
いつもより切実にイエス・キリストに祈ったことを覚えている。
「この子(犬)が苦しまずに死ねますように、
あなたがこの子に一番ふさわしい時を選んで、
そのようにして下さいますから、感謝いたします」と。

8月22日の夜(日本時間)、
夫のいるときに静かに眠るように死んだと聞いたとき、
祈りは聞かれたのだと、すぐ思った。14歳と11ヶ月だった。

「今から教会に行くわよ」
と買い物を中断してすぐ教会に向かった。

教会に行ってひたすら泣き続けた。
娘も一緒になって教会でドンベエのために祈ってくれた。
「ごめんね、ありがとね・・・・」
泣き叫んでしまっていた。

そんな場所があったことを神に感謝しなければならいだろう。
私たちだけで、他にだれもいない教会だったのだから。(写真下)

ひとしきり泣いて、一端おさまるのだが、
また、ふとしたきっかけで涙がこぼれてしまう。

「ママ、涙はもう我慢して」と娘に言われた。
それもそうだ・・・。
娘にばれないで泣くしかない。
ホテルに水着を取りにいき、カラカラ浴場で泳ぐことにした。

水の中だったら、誰にも気づかれまい。

温泉は体を癒す所とばかり思っていたが、
心までケアしてくれるところだとはこの時まで知らなかった。







(カラカラ浴場の前にある、小さな教会。コンサートを知らせる看板が入り口に置かれていた。この教会は一生忘れられない教会となった。また、いつか訪れたい)




---バーデン・バーデンの夜

2007年09月04日 | 健康 美容 旅行 エンターティメント 語学勉強


今日という日を一生忘れない。
2007年8月22日。

疲れてしまえば寝るだけだ。
そう思う先から、ドンベエ(犬)のことを考え始めてしまう。
カラカラ浴場界隈のカフェは多少、まだ賑わいがあったが。
レオボルト広場界隈はひっそりとしていた。

広場近くのトラム乗り場にたどり着く。
カードで現金をおろせてよかった。
もう現金がないからとトラムをあきらめて、
歩いて帰る必要もない。

「遅くまでなにやってんの」と
声をかけられて、ギクリとした。
お昼行ったお店でおすしを握っていたおじさんだった。
「お店はもう終わったんですか」
当たり前だ、さっきそのお店の前を通ったばかりである。
ひっそりとした店内を覗いたのだから。
「いやあ、疲れたよ。お嬢ちゃんもう眠いんじゃないの?」
とちょっと矛先がやばいぞ。
「カラカラ浴場に最後までいたんですよ、この子、泳ぐのが好きで」
いかにも娘が泳ぎたい、といったのだと主張する。

同じトラムに乗って、私たちが先に降りた。
この旅では一度あった人に偶然また会うことが多い。

私はトラムを降りてから、
おじさんのドイツでの検討をそっと祈った。
多分、60は過ぎているであろうその人の
昼間語ってくれた波瀾万丈の人生をもう一度思い出していた。

「あのおじさんの持っていた、ケースかっこよかったね」と
娘が無邪気に言う。
「そうね、おじさん、元々すごいお金持ちだったんだものね。
あれは、ゼロハリバートンというとっても高級なアタッシュケースなのよ」
と説明した。
人間は見た目でもないし、持っているモノでその人間を一概に判断はできない。
しかし、その人間が自由を与えられ、その自由の中で
自分で選んで身につけているものは、
その人がどんな人かを示す記号の役割をはたす。
私はおじさんの持っていたケースにかつてのプライドをのぞき見た気がした。

日々の生活は何を持ち、何を着て、どんなモノを食べ、どこへ行くか?
一瞬一瞬が選択の連続だ。

しかし、その選択をできるということが、
自分で選べるということが、
どれほど贅沢なことか・・・・。
どうしようもなくしなければならなくて
仕方なく行動することが、実際の日常では多いからだ。

旅をするたびに、
旅が与えてくれる自由な選択の連続を
果てしもなくありがたいことと感じてしまう。
そして、心より感謝する。

だから、自由のきく、
個人旅行の方が
苦労があっても、私は好きだ。

しかし、愛するものの死と向かい合えず、
今、バーデン・バーデンに立っていることが
決して正しいことではないことははっきりしていた。



「聴く聖書」が今晩も必要だ。
PCをあけ、また連続再生にして泣き続けた。
今度は本当に眠れぬ夜となった。

夜中に夫に電話をする。東京は丁度朝だ。
「ドンベエをお葬式場の持って行くとき、
ニューヨークでいつも散歩の時に着ていた、
私のダウンコートでくるんであげてくれない」
どうしてもそうお願いしたかったからだ。

「ダウンコートじゃこの暑い中、ドンベエも大変かもしれないけど・・。
あ、もうそんなこと感じないんだよね」
といいながら。

ロングのコートだからドンベエをすっぽりと包んであげることができるだろう。

この旅行中、娘の洋服にドンベエの毛がついていた。
「あ、ドンベエの毛だ」
と娘が言ったとき、
「きっと、ドンベエもその洋服と一緒に
付いてきているのかもね」
といったのを思い出す。

私の思いはそのロングコートに一杯積もっているから、
と、ドンベエにどうしても伝えたかった。

本当は、ドンベエにくっついて
ドンベエの行く死後の世界までお共したいくらいだ。

いつか、私が死んだとき、ドンベエに会えるように、
ドンベエのように文句も言わず(正確には言えないのだが)
ただ感謝して精一杯生きていきたい(最後まで歩こうとしたよね)、
とまじめに思っている。