(地元の自然食品店のおじいちゃんが、勧めてくれた大聖堂に到着!広場の様子)
(大聖堂の中、人々が群がって写真を撮っている。その対象がこれだった)
「最後の晩餐」と言えば、
ミラノのサンタ・マリーア・グラーツィエ教会にある
あの天才による作品が有名。
そうレオちゃん、あ、失礼、レオナルド・ダ・ヴィンチのもの。
かなり前に入場の予約しておかないと駄目で、
ブラリと立ち寄ってみても
その作品はまず拝めない。
それほど世界中から観光客が押しかけるあの名作だ。
「最後の晩餐」を題材に小説「ダヴィンチ・コード」では、
イエス・キリストの横に座る、
中性的に描かれているヨハネのことが話題になったが、
こちらの作品にも、ヨハネはイエス・キリストの横で、
寄り添う(いや、抱きついているようにも見える)人として
表現されている。その様子を撮りたいわけではないだろうが、
人々が群がって写真を撮りまくっていた。
さて、娘と2人
このキリストが死ぬ前の晩餐の様子を見入らずにはいられなかった。
どの像が誰が沢山分かった方が勝ち、というゲームをやっていたのだ。
ヨーロッパを旅行するなら、やはり
聖書の知識はあった方が楽しい。
娘は学校で聖書の時間があるので(ミッションスクール)
知識を適用できるこういう遊びは本当に面白いようなのだ。
12人の弟子全員がどこに座っているかを考えるのだ。
「真ん中がイエス様でしょ、向かって右は絶対ヨハネ、
反対のイエス様のとなりが、ペテロで・・・・。
あ、ユダはお金の入った袋を持っているから、袋を持った
あの人(写真には写ってないが)・・・」
いっきに娘がまくしたてる。
が、私も娘もそれ以上は誰か誰なのかがわからない。
作品を作った人は必ず、誰が誰だか分かるよう
ヒントになるものを添えてあるはずだ。
うーん、探偵になったつもりで、そのヒントを捜そうとする。
でも、分からない。
ちなみに、
レオちゃんの「最後の晩餐」ではヨハネはイエス様の向かって左に座っていて、
その横がペテロ。
こっちはイエス様の向かって右にすわっているのがヨハネで(多分)
イエス様を挟んで反対側にペテロ(多分)がいる。
ヨハネやペテロの座っている位置がそもそも違う。
結局、芸術家は聖書の中の有名なこのシーンを自由に想像し、
自由に表現したにすぎないのだろう。
その場に居合わせたわけじゃないんだしね。
2人ともギブ・アップ。
さて、すべての芸術家にご相談。
今度、三つ編みしているイエス様を描いてみてはどうだろうか。
表現は自由なんだし。なんなら、編み込みでもいい。
そうしたら、その絵を見て、
200年後くらいの後世の人が、
「実はイエス・キリストは女だった」という
歴史史上最大の秘密を隠すため、世界中で暗躍する秘密組織を登場させて、、
サスペンスな小説を書いてくれるかも。
(しかし、今は言論の自由が保証されていてよかった。時代が時代なら
このような冗談だけでも、牢獄行き・・・・?)