北宮諏方神社・龍現寺・安勝寺・出雲神社・満福寺・中善寺 喜多方市方面【10-1】
25年度、地域の歴史・史跡などの現地学習第10回目の1は喜多方市方面から
北宮諏方神社・龍現寺・安勝寺・出雲神社・満福寺・中善寺・・・
はじめに拝観した龍現寺のご住職のお話の中から、
明治の神仏分離令や廃仏毀釈のありさま、混乱のさまをちょっと想像してみて・・・
近代化(?)への変わり目、当惑、混乱はどんなだったのだろう。
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北宮諏方神社 大鳥居・・・
天授元年(1375)年、葦名(5代)直盛公が勧請。黒川城内の諏訪神社を南宮とし、当社を北宮とした。
祭神は、建御名方神と八坂刀売命。寛永18(1641)年、現在地に社殿を遷座。
現在の社殿は明治21年(1888)に造営されたもの
衰微の歴史もあるが、松平氏の時代には春秋の2度使者を遣わし、厚く祭祀の礼を行っていたという
本殿の後ろ脇に、愛宕神社と稲荷神社がある。
毎年8月2・3日、夏を彩る祭りが繰り広げられる。
笛や太鼓の賑やかな祭り囃子の流れる中、境内で若衆が市内9社の酒を入れた樽神輿をかつぎ、
子供たちが山車を引き、稚児行列が町中を練り歩き、祭礼中は出店が立ち並び賑わうという。
龍現寺 修験の出で、29代目のご住職のお話を聞き終わって・・・
喜多方諏訪、俗称寺町といわれるところにある天台宗の寺院。山号は愛宕山。本尊は勝軍地蔵尊。
明治の神仏分離の諸令によって修験道が禁止されるまで、龍蔵院という修験道の一院だったという
14世紀、鎌倉より入り、当寺を再興した現住職の祖は修験の出で、29代目という
代々、小荒井村の信者のために大般若経の転読・日待祈祷・火伏せ・悪疫退散・厄除など各種の祓い、
また、隣接する愛宕神社の宮司を務めてきたという
今も毎月24日に、ご本尊勝軍地蔵尊が安置されているお堂で護摩供養が行われという。
白壁土蔵造りの安勝寺
さすが寺町、すぐ隣りに建つ曹洞宗の寺。山号は小荒山。本尊、釈迦如来。
喜多方市熱塩加納町の示現寺の末寺という
応永29年(1422)、源翁和尚三世の法孫雲光の開基。
当初は葦名家の庇護があったが、松平家に至って寺領の耕地が没収された。
天明5年(1785)および明治13年(1880)に火災によって焼失。旧記古文書などもほとんどが失われたという
現在の本堂は明治27年(1894)、白壁土蔵造りの寺として再興された。
出雲神社 大鳥居
社伝によると、天慶年間(938~47)に平将門の滅亡後、その残党がこの地に逃れて来て、
山野を開き農桑の業に就いた。その後、66代一条天皇の正暦年中(990~95)陰陽師安倍清明が下向し
「この地は将来繁栄する地相である。国土開墾の神、出雲の神を総鎮守とすべし。」と勧めたとある。
出雲の神を総鎮守に「国土開墾の神」として祀り、総社神社を創建し、
明治4年出雲神社と社号を改めた。
境内奥には「自由民権運動発祥の地」の碑がある。
明治10年代、喜多方地方に起きた自由民権運動の政談演説会が、
この境内において度々催されていたのを記念し建てられたものという
中善寺 木造薬師如来座像(国重文指定)
山号を開堂山、真言宗豊山派、開基、開山については不詳という。
境内の薬師堂に、木造薬師如来座像を安置する。像には「延慶三可の庚戌(1310)卯月忍何上人創業也」の
彫付銘があり、国重要文化財に指定・・・。88センチほどの寄木造漆箔押で、
優雅で円満な面相は、藤原仏の面影をよく伝える傑作。収蔵庫に安置されている。
中世ここに大きな霊場があったといわれ、後世廃れていたのを
慶長年間(1596~1615)、若松/弥勒寺の僧/祐誉が中興。その後再び廃れていたのを
元禄16(1703)年、栄昶和尚が再興に着手、4年後に再建。薬師如来、日光・月光菩薩・及び十二神将の
修理を完成させた。続いて薬師堂の再建を発願し、木食を修行して3年後に成就・・・
参道右手には六観音の石仏が祀られている。本堂前には、樹齢250年と伝わる2本の夫婦カリンがある。
明治に至ってからは、自由民権運動(喜多方事件)との関連で知られるようになった。詳細は省略!!