殺生石(せっしょうせき)は、
栃木県那須町の那須湯本温泉付近に存在する溶岩で・・・
このあたり一帯は殺生石園地といい木道を挟んだ真ん中が「賽の河原」・・・
右に「湯の花採取跡」、左に「千体地蔵」その先に殺生石がある。
付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しており、
「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。
松尾芭蕉も訪れており『おくのほそ道』にその様子が記されているという
現在は、観光名所となっているがガスの噴出量が多い時は立ち入りが規制される。
* * * * 那須伝説「九尾の狐」* * * *
昔、インド、中国を荒らしまわった妖怪九尾の狐が日本に渡来
「玉藻の前」という美女に化身し、帝の寵愛を受けるようになりました。
帝の命を奪い日本を我が物にしようとした玉藻の前は、
陰陽師阿部泰成によってその正体を見破られ、
九尾の狐の姿となって、この地・那須野が原へ逃げ込んだのです。
朝廷は上総介広常と三浦介義純に命じて九尾の狐を退治させました
狐は死んで巨石に化身し毒気をふりまき、
ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼしました。
室町時代になって、これを伝え聞いた名僧源翁和尚がこの地を訪ね
石に、済度教化を授け持っていた杖で一喝すると、
巨石は三つに割れ、一つがここに残ったと言われています。
殺生石園地、木道を挟んだ真ん中が「賽の河原」と・・・
千体地蔵、今も奉納により増えているという・・・
殺生石 かなり強い硫黄臭。ここから10mほどで源泉、鹿の湯へ・・・
見上げれば新緑にヤシオツツジが映えて・・・
テクテク会5月例会は那須高原八幡つつじ群生散策・・・
天候にめぐまれ、道の駅しもごうで朝どりのアスパラガスはじめ・・・
旬の山菜、野菜を購入し、甲子道路経由那須高原へ
道路沿いに、やまつつじ・ヤシオツツジが咲いて
やまつつじ群生への期待がたかまる・・・
しかし、那須に近づくと雲に覆われ雨のなごりも・・・
那須高原自然の家駐車場では寒く、みんな1枚羽織って・・・
昨日はところによって大雨で列車が運休したり雹が降ったり・・・
やまつつじのつぼみは膨らんでいるが咲いてない!!
ヤシオツツジはたっぷりの雨水を含んでる
途中から青空が広がって気温も上がり散策日和に・・・
東屋でおにぎりランチしてると遠足の小学生が
元気よくあいさつしてくれて楽しい
つつじ吊り橋から1枚撮りたいと狙ってみたがゆれてゆれて
やまつつじはちょっと残念だったけどさわやかな新緑の那須高原散策でした
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八幡つつじ群生・・・
ヤシオツツジ・・・
つつじ吊り橋・・・
わくわくOB会春の自然散策会は・・・
本宮町の「花と歴史の郷 蛇の鼻」経由、母成温泉昼食会・・・
「花と歴史の郷 蛇の鼻」について(資料より)
明治末期、豪農・政治家の伊藤彌(わたる)が
本宮町の蛇の鼻地区を開墾した際に造った庭園
1899年(明治32年)開園。当時の名前は「蛇の鼻遊楽園」
広大な敷地内には、桜、ツツジ、秋の紅葉と通年花が絶えることがなく
牛、馬、豚、やぎ、ニワトリなどを飼育する大規模な飼育舎が建てられ
今も残る鰻清水池には、鯉、鮒、なまずなどの養魚施設が造られた
蛇の鼻御殿は、園内の池を望む高台に建てられた伊藤彌の別荘
建設には10年もの歳月が費やされ、
精緻な彫刻が施された玄関の破風、
狩野派絵師や飛田周山、勝田焦琴などによる障屏画や
伊藤博文などの書がある部屋など、贅をつくした造りになっている。
1996年(平成8年)文化財保護法に基づいて国の登録有形文化財に登録された
案内していただき勝田焦琴の千鳥の間の絵の前で記念撮影も
流行歌手の伊藤 久男は伊藤彌(いとうわたる)の息子という
裕福な家庭で、当時はまだ珍しかったピアノに没頭して
はじめピアニストを目指すも、
家族に音楽を生業とすることに反対され、
紆余曲折の後、歌手になったという。
様々なジャンルでヒットを飛ばし
NHK紅白歌合戦にも計11回出場している
国登録有形文化財で二つとない贅を尽くした木造建築を鑑賞し
藤、ツツジ、ぼたんが咲き誇る園内を散策
ランチして昼の温泉を楽しんだOB会でした
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蛇の鼻御殿 精緻な彫刻の玄関の破風・・・
蛇の鼻の藤棚・・・