連日霜注意報が出る冷え込み。
鉢植えのツタが今年はきれいに色づいた。
ツタとなごりのキチョウ、百日紅の枝先のアカトンボ ショット。
午後のひと時は日向では暑いほどだったが日が落ちて寒くなった。
天気がいい日は、雪の季節に向かってなにやかや一仕事。
裏の山も紅葉がすすみ、こんな日は山里もよいなと思える。
連日霜注意報が出る冷え込み。
鉢植えのツタが今年はきれいに色づいた。
ツタとなごりのキチョウ、百日紅の枝先のアカトンボ ショット。
午後のひと時は日向では暑いほどだったが日が落ちて寒くなった。
天気がいい日は、雪の季節に向かってなにやかや一仕事。
裏の山も紅葉がすすみ、こんな日は山里もよいなと思える。
バスツアー2日目は出発時には雨上がり。
山下公園・氷川丸を車窓から眺めて浅草・浅草寺へ。
今回は西側境内に建つ瓜生岩子之像をじっくり見学。
高齢者学級では出身地の示現寺を訪れ、瓜生岩子座像に対面。
今回、調べた事柄をまた見ることが出来るようここに書きとめる。
文政12(1829)年、喜多方の若狭屋に生まれ、9才の時父が病死
母の実家に移り、14才で会津藩医の手伝いを始める。
明治元(1869)年の戊辰戦争の際には、敵味方の区別なく
看護した。明治4(1871)年に上京し、東京深川の教育養護施設
にて学ぶ。その後は社会福祉活動に一生を捧げる。
数多くの社会福祉事業に貢献し、明治のナイチンゲールと言われている。
仏教思想に基ずく、育児事業の先駆者でもある。
現在の社会福祉組織の基礎を作った岩子の精神は、
今なお受け継がれている。
藍綬褒章を女性として初めて受賞している。
銅像は各地にありますが、浅草寺のものは明治34年
渋沢栄一らによって建立、戦時供出を免れた像です。
明治30(1897)年の皇后の見舞いに対して詠んだ和歌。
「老いの身の ながからざりし 命をも たすけたまへる
慈悲のふかさよ」 この2日後に、死去した。
明治30年4月19日没
境内に建つ平成中村座の小屋だけを見て、
築地場外市場で寿司ランチ後買い物して帰路についた。
予約していたバスツアーが全国旅割開始時期に入っていたので
神奈川旅割使って地域クーポンも使って、久しぶりの一泊旅。
バスは2シート一人、感染症対策もしっかり対応で安心でした。
このクーポンが、お店によって紙クーポンでは一店舗使い切りという。
それでと、はじめてながら添乗員さんに手伝ってもらって
二次元コードからregionPAYアプリダウンロードして買い物。
話題の鎌倉八幡宮、小町通りも賑わってました。
YOKOHAMA AIR CABIN、中華街散策など楽しんで夕食はホテルの中華料理。
コロナ以前の旅気分とはちがうけど旅は旅、ちょっと楽しんだ。
裏のクルミの木に絡むツタが紅葉した。残暑も何時の事かと
思うほどに季節はすすみ、飛ばされたツタが落ちていた。
ちょっと寒々しい小庭にツタの葉一枚とスズランの実とホウズキの赤が
彩を添えている。
裏のクルミの木に絡むツタが色づた。長引いた残暑は影を潜め
ツタの葉が飛ばされて落ちていた。寒々しさを感じる小庭で
スズランの実とホオズキが鮮やかな赤で深まる秋を教えてる。