万両の実の色つきがちょっと遅いので、冷え込みが続くなか、もう少し、もう少しと外に置いたら雪に・・・。
さいわい凍みなかったので、春先、ヒヨドリが赤い実をついばむことが出来そうです。
このパソコンになってはじめてのgimp。雪ブラシで作った背景にのせてみました。
イスタンブール歴史地域を海から眺めることができるボスポラス海峡クルーズへ
エキゾチック!トルコ4大世界遺産めぐりツアー、天候にも恵まれ、今日16日が最終日・・・
「紀元前7世紀以来の、歴史的都市であるイスタンブール旧市街の歴史地域は、
537年に竣工し、1500年近くにわたって、災害や戦乱による破壊を免れてきた
アヤソフィアをはじめとする、多くの歴史的建造物を、現在に伝えている。
また、古代ギリシア、古代ローマ、ビザンティン文化の遺産と、
トルコ・イスラム文明の精華が積み重なり、
多文化国家トルコならではの優れた建築が残されている。」
そんな多文化、東西文明の交差点、といわれるイスタンブール歴史地域観光・・・
トプカプ宮殿、ブルー・モスク、アヤ・ソフィア観光時には青空も出ていたのですが
ボスポラス海峡クルーズ出航に合わせたように、ついに雨が・・・
船室に退避し、ヨーロッパ側の風景を眺めてましたが、第一ボスポラス大橋をすぎたころに
幸い雨も上がり、甲板でウスクダラの曲に合わせて盛り上がって、クルーズを楽しみました。
ボスポラス海峡クルーズと、市内の通り、突然ですが、遺跡のねこも入れてスライドショーに・・・
駆け足観光ながら、エキゾチック!トルコ4大世界遺産めぐり、思い出深い旅になりました。
ドルマバフチェ・ジャーミィ画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください・・・
ボスポラス海峡に浮かぶ小島に建つクズ塔(乙女の塔)
1985年に世界遺産に登録されたイスタンブール歴史地域
トルコ共和国(トルコ)は、1923年10月29日、アタチュルク率いる祖国解放軍により、オスマン帝国が滅亡し、
トルコ共和国になってからは、首都はイスタンブールからアンカラに移った。
国民の99%がイスラム教徒であるが、共和国となってからは、民主主義と政教分離政策が取られ、
イスラム諸国の中で最も戒律が緩やかな国である。
イスタンブールは、トルコ西部の、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側とアジア側の両岸に広がっており、
人口1500万人、トルコ最大の都市であり、文化・経済の中心となっている。
トルコの首都アンカラとイスタンブール、567kmを9時間半で結ぶ寝台列車アンカラ・エクスプレスは
ほぼ定刻通りの朝8時過ぎに、イスタンブールのアジア側の終着駅ハイダルパシャ駅に到着。
バスに乗り換え、ラッシュを避けながら、イスタンブール歴史地域の観光に・・・
金角湾、マルマラ海、ボスポラス海峡が一望できる丘に建つトプカプ宮殿。
15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設し、歴代スルタンが増築しながら
19世紀半ばドルマバフチェ宮殿に居を移すまで、400年にわたって居城とした。
広大な敷地内は4つの庭園エリアに分かれ、それを取り囲む建物は
現在博物館になっていて、第三庭園奥の「宝物館」には柄に3個の大きなエメラルドをはめ込んだ
黄金の短剣」や、86カラットのダイヤモンドなどなどの、目をみはる宝石類が並んでいました。
また、タイル装飾の美しさには目を奪われます。
ブルー・モスク(スルタン・アフメット・ジャミィ)はトルコ帝国が栄華を誇った17世紀はじめに
アフメット1世によって建てられたイスラム寺院。
巨大なドームの周囲に建つ6本のミナレット(尖塔)が印象的。
内壁を飾るブルーを基調としたイズミック・タイルの美しさからブルー・モスクと呼ばれるという。
さまざまなデザインのタイルが、調和して巨大なドームを聖なる空間にしている様に圧倒されます・・・
アヤ・ソフィアはローマ帝国時代にキリスト教の聖堂として建立されたが
オスマン帝国が征服した後はイスラム教のモスクとなった。
偶像崇拝の教えに背くことから、モザイク画の数々は500年もの間漆喰で塗りつぶされていたという。
トルコ共和国時代に入ってからの大修復によって、昔の姿をほぼ取戻し
現在は、ビザンチン帝国の栄華を偲ばせる博物館として公開されている。
ちょうど、BS-TBSがの撮影中で放送は来年になるということです。
トプカプ宮殿「帝王の門」画像クリックでスライドショーへ。BGMの音量にご注意ください・・・
(スライドショーの右側の□クリックでフルスクリーンに。)
ブルー・モスク(スルタン・アフメット・ジャミィ)
アヤ・ソフィア