不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Usare gli oggetti con cura e conservarli a lungo

2021-08-13 10:35:45 | 日記
ものもちがよい人。

1995年9月、
フィレンツェに着いたときに
まだどこに何があるのかわからない状態で
とりあえず、まだ長かった髪をとかすためのブラシを探していて、
Duomo脇のBiffoli Shopで買ったヘアブラシ。



なんと、それから26年もの長きにわたり
私の髪とお付き合いいただきましたが、
先日とうとう寿命がきて
土台部分のゴムが経年劣化して、櫛の歯が抜けてしまいました。



ゴムの部分に亀裂が入って歯が二本抜けてしまい
髪をとかしているうちに他の歯もどんどん抜けそうな感じに。

お別れしなくちゃいけないのかと思ったら、
なんだかとても刹那くなって、
今まで気にもしていなかったブラシの背に貼ったままになっている
バーコード確認してみました。



購入したBIFFOLI SHOPの名前も入っています。
経年劣化を感じる印刷の薄れで見にくいのですが、
右下に価格が記載されています。
₤5800
5800リラ。
流れていった時代を感じます。

リラからユーロに切り替わったとき、
だいたい2000リラ=1ユーロで換算していたから単純に約3ユーロくらい。
今の相場で換算したら3ユーロ=400円くらいか。
いや、安いな。
更に、1995年当時はリラに対して円はかなり強かったので、
街中半額セールみたいな感覚がありました。
ということは当時、私の感覚では300円くらいで買ったヘアブラシ。
26年も使うとは思わなかったけれど、
長持ちする品質のよいものだったってことかな。

確かにあの頃のイタリアって質の良いものが街に普通に並んでいた気がします。

しばし、感慨深く思い出に浸って、ブラシの背の価格を眺めておりました。

ということで
新しいヘアブラシを買うことにしました。
サイズもよく確認せず、
オンラインで注文して、先ほど届いたAVEDAのパドルブラシ




26年使ってきたブラシが小さかったのか?
思ったより大きかった。
でも持ちやすくて使いやすそう。
確かに頭皮へのほど良い刺激も心地よいし。

これから25-30年くらいこの新しいブラシとお付き合いすることになるのかしら。
となると、
私の人生でもう二度とブラシは買わなくてもいいくらいの計算になります。

ものもちがよいってやっぱり素敵なことかも。

La prima camminata del 2021

2021-01-01 17:20:00 | 日記
世界が大きく変化して
新しい生活習慣なるものを強要される時代。
人の集まるところに出かけるのも憚られ
朝から強風も吹き荒れていたので
今年は恒例の初日の出ドライブは中止。
ありがたいことに自宅の屋上から
初日の出と朝陽に染まる富士山を拝むことができました。





Instagram liveで
元旦ヨガのレッスンを受けて
縮こまった身体をほぐし
穏やかに朝がやってきたので
レイラと一緒に
地元の廣瀬神社に初詣に行き
御門塞神社にもお参りしてから
ウォーキングに出発。

市が開催する恒例の新春ウォーキングは
中止になってしまったので
勝手にウォーキング(笑)。

どこを歩いても良かったのだけれど、
昨夜ふと坦庵公のことを思い出したので
江川邸から韮山反射炉までの
坦庵思索の道を歩くことに。
片道3キロ往復6キロの長閑なコース。



ところどころに看板あり。
中には手書き看板も。

江川邸も静かなお正月。

陽が挿し込む切り通し。
風が吹くと竹がしなって
その度に山の声が響く。
他に音のない静かな時間、
坦庵の時代はもっと静寂の時間が濃かったのだろうな。
韮山反射炉は
昨年秋から修復中のため足場が組まれていますが
元日から数人の来場者ありで
ちょっとほっとしました。

折り返し。
白菜畑と富士山。

昌渓院の麓にある祠。
ここが岩戸の砦の跡なのか
確認もできなかったけど、
とても大きな一枚岩に根を張る木々の生命力に
あぁ負けちゃいけないんだなぁって思ったり。

禁葷酒。
葷酒山門に入るを許さず。
韮山だけに葷はニラのことかしら。

昌渓院の裏山に山城があったことを初めて知りました。
1590年の小田原征伐のために
韮山城包囲を目的に
豊臣軍が築いたそうで、
一帯にはいくつも砦の跡が残っているみたい。

知らないことを学ぶことの幸せを
朝からしみじみ。
今年はきちんと学びの年にしよう。
梅の花が綻びはじめています。
困難も多いかもしれないけれど
希望は捨てず、
自分にできることを
自分のペースでひたむきにやっていこうと思います。












Il fatto che si impara dalla storia

2020-10-01 23:40:46 | 日記




完全自粛期間が明けて時々テレワークの勤務体制になって
通勤のローカル電車の中吊り広告で見つけた三谷幸喜さんの講演会告知。
Covid-19の感染対策のため入場人数制限があり、
抽選で200名限定と書かれていたので、
倍率高そうだなとは思ったけれど、とりあえず応募しておいた。

抽選結果を知らせるメールでは「落選」っていうことだったので一度は諦め
そのあとでやっぱり当選という電話があったときには正直驚いた。
でも嬉しかったので、早々に午後半休の申請をした。

会場は地元の韮山時代劇場。
ホール入り口から密な状況が作られやすい施設で
どうやって3密回避するのかなと思いながら
ギリギリで会場に到着したら
いつも入る狭い正面入り口ではなく脇のスペースに誘導されて
まず屋外で検温、
そのあと五十音順に区分けされたブースで名前と体温を告げて
たっぷりの消毒ジェルを手にかけられる。
脇の出入口からエントランスに入ったところで
座席を書いた小さな紙を渡されて座席が指定される。

L-33。

韮山時代劇場大ホールは桟敷席や花道があるちょっと独特な造りで
1階・2階・桟敷席合わせて約500席。
感染対策のため座ってはいけない席にはA4の紙が貼られていて
座席はひとつづつ空けて前後も重ならないように指定。
抽選200ということだったけれど、最終的に250人入ったそう。

この座席に貼ってあった紙の裏面がアンケート用紙だったことを講演会の最後に知って、いいアイディアだなと思った。これもニューノーマルなんだろうか。


三島青年会議所主催ということで、
なんかすごく体育会系なお兄さまたちが取り仕切って
個人的にはムズムズするような、ちょっと懐かしい感じがした。

伊豆の国から出た北条義時が主役となる2022年の大河ドラマの
脚本を書かれる縁で、三谷幸喜氏独自の歴史観についての講演。
「僕が歴史を好きな理由」
ローカル線の中吊り広告ではわからなかったけれど、
この企画はその北条氏や源頼朝つながりで
小田原と鎌倉と韮山の3会場を結んだリモート講演会でもあった。

Covid-19禍での新しいイベントの形ってこういうことなんだなぁって
なんとなく肌で感じることができたかも。
以前よりは入場手続きにちょっと時間もかかるけれど
でも、これはこれで悪くないと思ったし、
工夫次第でなんとかできることの方が多いんだなって改めて思う。

体育会系開会の儀や来賓あいさつなんかを経ていよいよ三谷さん登壇。
出てきた瞬間からユーモア炸裂。
私は新撰組も真田丸も観ていないし
そのほかの三谷作品もほんの少し知っているくらいだけれど、
そんな私が想像していた遥か上をいくユーモアの幅だった。

大河ドラマにも、日本の歴史にもさして興味を持たなかったし
物書きになりたいという夢を途中で捨て去った私と違って
三谷氏は10歳の頃に観た大河ドラマがきっかけで歴史が好きになり、
いつか自分でこういう作品を書いてみたいと思って
それをきちんと生業にしている。

講演会の内容は
ご自身が影響を受けた大河ドラマのエピソードを交えた自己紹介から始まり
これまでに手掛けた2つの大河ドラマの話し、
そして現在執筆中の3つ目の大河ドラマの裏話まで。
新選組も真田丸も負け組へのシンパシーを表現した作品で
負けてゆく多くの人々への共感を描いたけれど、
北条義時(鎌倉殿の13人)はどちらかといえば勝ち組。
しかし、本当の意味で彼が「勝った」のかというところを描きたいって。
平安末期のイメージが湧かないので書く作業はとても難しいとも。
石橋山は海から離れているのに、落ちている石が丸みを帯びているのは
当時の山中での戦い方が石飛礫の投げ合いだったからだとか、
貨幣は流通していなくて物々交換が主流だったので
戦勝報酬でいくら授けるという表現ができないとか、
どの時代よりももっともっと神が近い存在で
戦いの日取りも神託によるところが大きかったとか。

三谷さんのお話の中であぁと思ったのは
ピンチを切り抜けるヒントは歴史の中に必ずあると仰った時。
それは吉川さんがかつてどうしようもなく追い詰められたときに
三国志の中に答えを探し求めたエピソードに
とてもよく似ていたから。
我々はまだまだ歴史から学べることがたくさんあるんだろうね。

講演の後の質疑応答も新しい形での取り組みで
申し込み時に記載した質問の中から運営側が事前に選択してあって
小田原と鎌倉の会場からも質問がされたり。
それでも時間が余ったので、韮山会場から追加で数人質問ができて
期末テストを終えたばかりの学生の
覚えることばっかりで歴史が苦手になりそうだけど、
どうすれば覚えられるかという学生らしい質問に対して
三谷氏が
どうせ簡単に調べられるんだから年号も固有名詞も覚える必要なんかないし
成績が落ちたって気にしなくていい。
年号なんかより歴史を学ぶうえでもっと大切なのは、因果だ。
何が原因でそうなったのかという大きな流れを掴むことが重要なんだって
答えていて、素敵だなぁって思った。
それに対して学生が
成績が落ちるのは困るけれど、先生にはそう伝えていこうと思います
と切り返したのもイカしているなと思った。

三谷さんのユーモアとか歴史との向き合い方も含めてひととなりを
知ることができたのはもちろん大きな収穫だったし
イベント全体を通して
Covid-19禍だからこそできることを探し、
そこに楽しみを見つけていこうという雰囲気があって
それだけでもなんか行って良かったな。

開会の儀で三島青年会議所理事長(たぶん)が
Covid-19禍で何をやっても、やらなくても
どっちにしても賛否両論、議論が起こるような状況で
それならやらないよりはやった方がいい。
行動しなければ議論さえも起こらないのだからと
力強く発言されていて、
なんかこの半年近くでそんな言葉を聞いていなかったので、
ハッとさせられた。

なんか知らず知らずに小さくまとまりかけていたのかも、私。


una scappatella dal caldo torrido ~ Lago Matsukawa

2020-08-14 23:55:00 | 日記
夏休みっぽい暑さが続く日々。

吉川さんのライブもイタリア行きもお預けの夏休みは
久々にレイラとまったりできる休暇。

午前中ちょっと雑用を済ませてから
近場へドライブ。

県を跨ぐ移動は慎重にと言われても
やはり他県ナンバーの車の多い伊豆地方。
とりわけ海岸線は、
例年ほどではないにしても
渋滞していそうな気配なので、
伊東の海側を敬遠して
自宅から山を超えて山の中へ。

伊東市の生活用水を供給する奥野ダムが作り出す松川湖。
春は桜、秋は紅葉、初春は梅と
花を愛でるのにもってこいの環境なので
わりとよく立ち寄るスポット。

すごく涼しいわけではないけれど
街中に比べれば風が吹き渡って心地よいし
なにより水辺なので、
それだけで涼しい気になる。



梅林をなんのあてもなく彷徨う1人と1匹。

この梅林の隅には
不釣り合いなモニュメントがあって。


よくみないとわからないけれど、相撲のモチーフ。
伊豆韮山の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝を慰めるために
地元の豪士・伊東祐親が主催した巻狩りのあとの余興の相撲がこの地で行われたそうで。
その時の、祐親の息子で剛力と名高い河津祐泰と俣野景久との取り組みで繰り出された技「河津掛け」を記念して作られたものらしい。

伊東祐親、河津祐泰とくれば曽我物語で
叔父の眠る曽我の墓所霊園には
その仇討ちの主人公である曽我兄弟の母の満江御前の墓があり
昨夏から、何かにつけて気になっている。
そんなアンテナに、
ちゃんと引っかかってくるから面白い。

松川湖は湖畔一周4800メートルで、
ダム堰も含めて
遊歩道をぐるりと歩いて周ることができるので
灼熱の太陽の下、無謀にもレイラと歩き始める。




木陰は涼しいし、そんなにアップダウンがあるわけでもないので楽勝。




ただしダム堰の上だけは日陰になるものもなく
烈火に炙られた歩道をレイラに歩かせるわけにもいかず、
そこだけは抱いて通過。




遊歩道にあるレトロなデザインの柵。
なかなかかわいい。

コースの途中にはベンチや水遊びのできる広場もあって
涼をとり休みながら進めるので、
真夏でもそんなに辛くはなかった。


密を避ける必要もないくらい
誰もいない。



以前は芝桜が咲いていた広場は再整備されたよう。



7月にあんなに降り続いたのに
ダムの水位はかなり下がっていてびっくり。
あの水はどこに行ったんだ?



パンパースグラスが風に揺れている。
いつもはもうちょっと季節が進んでから開花するのに、
今年は早いような気がする。



のんびり歩いても1時間ちょっと。
レイラとお散歩にはもってこいのコース。

秋にまた遊びに行こう。







Essere un po’ beneducati

2020-02-15 03:00:00 | 日記


カルビーのかっぱえびせんと吉川さんのコラボレーションキャンペーンを通して、
きっとカルビーさんは吉川晃司の底力を
(というか、彼を支えるファン層の厚さとその力を)
実感していることでしょう。


かっぱえびせんのリニューアルキャンペーンで展開されているオリジナルクリアファイル配布ですが、
なかなか手に入らないエリアが多くて
ネット上では、あこぎな商売や心ないメーカー批判も見かけたりしますが、
そういうことは吉川さん本人が一番嫌がることだろうなぁと思います。



そもそも非売品なので、数も限定されているし
メーカーさんのマーケット戦略だって色々あるわけだから、
手に入らないからといって
あまり執心してはいけないのかもしれないよね。
そりゃぁ、見つけられなくて寂しいのは
私も同じだし、
見つからないと思っていても、
延々クリアファイルを探して
普段足を運ぶこともないスーパーなんかを梯子したりして(笑)。

あまりにお行儀の良くないファンが悪目立ちすると、
メーカーさんたちにマイナスイメージを与えかねません。
結果として、
吉川クラストは扱い難くて面倒くさいことになると思われちゃうと
この先タイアップやコラボ企画を持ちかけてもらえないなんていう最悪の事態だってありうるんじゃないかな。
それは吉川さんにも迷惑かけちゃうから、全力で避けたいなと個人的には思います。



カルビーさんが吉川晃司を採用してくれたことに感謝して
これをきっかけに
ポテトチップスだけでなく
リニューアルしたかっぱえびせんの売り上げも伸びるように
微力ながら貢献したいと思います。