伝説だと信じていた。
食糧難だった時代には
きっとあり得た話だろうと
高を括って聞いていた。
しかし、衝撃的ではあるけれど
どうも未だにあるらしい、
イタリア国内の「猫食」。
参照記事
もちろんイタリア国内では
「愛玩動物」の殺戮は法律で禁止されているし
イタリアの食料市場などに足を運んだことのある方なら
よくご存知だと思うけれど、
小動物は基本的に頭をつけた状態で販売されています。
それはなによりも
個体の認識をするために他ならないわけです。
つまり
「ウサギだよ」といって売られているものが
もしかしたら「ミニチュアピンシャー」かもしれないけれど
頭がついていなかったら区別できないという
そういう恐ろしいことを避けるため。
それなのに、です。
未だにイタリアの一部地域では
猫を食材として用いている地域があるという
衝撃的なニュース。
AIDAA(動物愛護団体)によれば
年間6000匹から7000匹の猫が食卓に上っているという統計。
昔からヴィチェンツァ人は猫を食うと言われていますが、
今でもヴェネト地方ではそういう風習があるとかないとか。
ヴェネト地方だけでなく、
ロンバルディアやピエモンテ、
エミリア・ロマーニャなどの一部でも
そういった食習慣があると言われています。
そして、イタリア国内で失踪した猫の約10%が
こうした犠牲になっていると。
世界のあちこちには
我々日本人からは到底信じられないものを
口にする食文化があります。
しかし、それは各地の伝統や立地、環境に合わせて
長年培われてきた文化の一つ。
私はそういった各土地の人が食べるものに対して
非常識であるとか気色悪いというのは間違っていると思うし
彼らが私にそれを強要しない限りは
彼らの文化として認めるというスタンスです。
因みに、
私が好んで口にする納豆を
その異臭から「Che schifo!」というようなイタリア人は
他文化を尊重することを知らないお馬鹿さんで
可哀想な人だと思うことにしています。
話がそれましたが、
そういった世界各地の下手物食いは文化として認める私ですが
G8にも名を連ねる先進国であり
戦中の食糧難でもなく、
法律でも禁止されているイタリアで
猫を食べるという必要性がどこにあるのか
という点に於いては多いに疑問も感じるし抗議もしたい。
食べる必要ないでしょ、猫。
ミラノ郊外に住むある女性は
わざわざ猫を食用として飼育して
友人たちを招いて
「ウサギ料理だ」と言って振る舞っていたらしい。
それって大いなる悪意だと思うんですよね。
あり得ないほど悪意に満ちた行為じゃない?
どの情報を信用して、自分の口に入れるものを決めるか。
情報リテラシーの問題です。
大きく捉えれば、今の日本だって、同じ。
自分の食べている物が
どこからどういう経緯で来た、どんなものなのか
知ろうとする努力は投げ出しちゃいけない。
イタリアにいる限り、
私はやっぱり野菜中心の食事でいきます、これからも。
どこでどんなものが食卓に上っているのか
自分の目で確認できない限りは食べない方が
私は幸せだもの。