不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

con questo caldo

2009-07-31 13:47:00 | Billy,Layla e Ciccino

毎朝天気予報で
フィレンツェ最低気温20度最高気温37度と
繰り返されると
もうどうでもいい気分になります。

予想最高気温が37度ということは
太陽の下の体感気温は確実に45度くらいかと。

そんな暑さが続いているせいもあって
私も仕事が終わって夕食の支度をする気力もなく
誰かに誘われて外で食べない限り、
夕食はろくに食べてません。
いただいた羊羹とか、ヨーグルトとか
たまにチーズとか、ポテトチップスとか。

普段からそんなものしか食べていないので、
私はすこぶる快調に過ごしていますが
ビリーが夏ばてらしい。

Dscf7408
夏ばてビリー

水曜日の夜からワンコご飯食べなくなりました。
木曜日の朝から散歩に行きたがりません。

いつもならお散歩とご飯には
誰よりも早く反応するのに
ワンコご飯には見向きもせず
散歩も何とか出かけるけど
20メートルくらい歩いたら立ち止まっちゃう。
結局宥めすかして
通常のお散歩ルートの半分くらいは歩いてもらって
あとは抱っこして帰ってきてます。
なんか散歩の意味ないですが。

今朝は早起きして涼しいうちに行ってみたけど、
やっぱり散歩ギブアップ。
お昼には私のランチ用のモッツァレッラチーズを
半分分けたらそれは喜んで食べました。

しばらくビリーはモッツァレッラ食…。

土日に1泊2日くらいで出かけようと友人に誘われましたが
こんなビリーを置いては出かけられないのでパス。
ちょっと、マレンマの海行きたかったけど
ビリーと一緒に家でゴロゴロの週末にしよう。


Con le pantofole

2009-07-29 07:53:00 | 日記・エッセイ・コラム

イタリアは自由奔放な国で
思い思いどんなかっこうしていても
誰も指摘したりしません。

季節の変わり目になると
毛皮の女性と半袖シャツの女性が
同じ街を歩いていたりして
それはそれは不思議な光景にもなります。

自分がよしと思えばそれでよい。
当然といえば当然なのですけどね。

Con le pantofole

しかしこれはどうなのよ?と思ったので
つい写真撮ってしまいました。

スペイン系か南米のお兄ちゃんでした。
リュック背負って身軽な感じでバスに乗ってましたが、
足元はもっともっと身軽だったのですよ。

これって高級ホテルのスリッパでは?

まぁ、こんなかっこうしていてくれても
全然問題ないんですけど
薄いのでかかとの部分がバスの扉に挟まっちゃったり、
歩くのもとても歩きにくそうだったので
普通の靴かサンダルにしたほうが
いいんじゃないのと思ったわけです。

大きなお世話でしょうけど。

でもなぜこのスリッパ履いていたのかは
個人的にすごく気になります。


Villa Medici a Roma

2009-07-28 06:40:19 | アート・文化

スペイン階段を上りきったところに
サンタ・トリニタ・デイ・モンティがあり
その西側に構えるのがVilla Medici。

それ以前からローマにあったフランス・アカデミーが
1793年に火災にあっていることもあり
1803年にナポレオンが
ここにフランス・アカデミーを移行して以来
現在までフランス・アカデミーの所有であり、
その宮殿は長く一般に公開されたことがありませんでした。

ミッテラン元大統領の甥っ子に当たる
フレデリック・ミッテランが
フランス・アカデミー館長を務めていましたが、
サルコジー大統領の強い希望で、
フランス国内の文化大臣に任命され
数週間前にローマをあとにしています。
彼が就任中にこの宮殿の一般公開を決め、
現在初の一般公開中。

もともとはモンテプルチャーノ出身の
枢機卿Giovanni Ricci
(ジョヴァンニ・リッチ・ディ・モンテプルチャーノ)の所有で
建物はNanni Lippi(ナンニ・リッピ)が手がけています。
彼自身は完成を見ないうちに他界し、
その息子が建築を引き継ぎ
一説ではミケランジェロも携わったとも言われています。

1576年にメディチ家のフェルディナンドが
枢機卿としてローマに赴任した際の居住地として購入、
Bartolomeo Ammannati(バルトロメオ・アンマンナーティ)が
大きく改装を行って現在のような姿で完成させています。

特に市内を向いている正面ファサードはシンプルですが
内部の庭園に面した面はアラ・パチスなどから持ち込まれた
レリーフ彫刻で華やかに装飾されています。

Facciata

Facciata_interno

Rilievo

2000年の大修復の前まではクリーム色の壁でしたが、
この修復の際に
1500年代の建物の色に戻すという決定がなされ
大理石やトラベルティーノを粉砕して塗料に混ぜた
白壁に塗りなおされています。
石材を粉砕して混ぜているため、
太陽光線が当たると
きらきらと煌くような効果を生み出します。

今回初めての公開となったのは
宮殿の1階と2階部分で
週末は30分おきに設定されているガイド付きで
宮殿内を見学できます。
(ガイドはフランス語かイタリア語)
宮殿東側の塔部分に当たる
狭く急な螺旋階段を上り2階へ。
2000年に建物は修復され、
2008年に絵画作品の修復が終わったとはいっても
実際には普段公開されていないので、
なんとなく寂れた感じがします。
1700年代のソファやベッド、机が置かれているだけです。

2階にある3部屋の天井画はいずれも
Jacopo Zucchi(ヤコポ・ズッキ)の作品で飾られています。
東側の部屋は
フェルディナンド・ディ・メディチの希望で
非常に奔放な愛の営みを描いた作品で
飾られていたようですが
彼のあとに居住地として利用した
コジモ2世の趣味に合わず
ほとんど外されてしまい、現在は小さな作品が4点残るのみ。
真ん中の部屋の天井画はゼウスの結婚がテーマですが
フェルディナンドの結婚をシンボル化しているといわれています。
また西側の天井にも同じくフェルディナンドの結婚を
ゼウスの結婚になぞらえた作品が飾られています。

1階部分はフランス・アカデミーの公の顔を持つ部分で
館長の書斎、控えの間、
パーティなどが行われる部屋、そして音楽の間。
実際に数週間前まではミッテラン館長が利用していた
書斎も公開されていますが、
いずれもシンプルでありながら
ところどころに考古学的な価値のある彫像や
1700年代のタペストリーなどがさりげなく飾られています。

特に著名な作品を所有しているというわけではないのですが、
館長を務めたBalthusのデッサンや
歴代の奨学生たちの作品などに触れることもできますし
期間限定初公開ということもあるので、
ローマ滞在中に足を運ばれるのもオススメです。

Mercurio

庭園からのローマ市街の眺めも必見。

Veduta_venezia

Veduta_panorama

Veduta_vaticano

Villa aperta
会期:2009年7月10日から2009年9月20日
開館時間:火曜日-金曜日10:00-13:30、15:00-19:00
     土曜日・日曜日10:00-19:30
休館日:月曜日
入場料:12,00ユーロ
詳細インフォメーション:http://www.villamedici.it


La gita a Roma

2009-07-25 23:15:00 | 日記・エッセイ・コラム

ローマの友人が里帰り中ということで
彼女に会いに行くついでに
かねてから見たいと思っていた展覧会にもいくことに。

Palazzo dell Esposizioniで9月13日まで開催中の
ブルガリ宝飾展、
それから建設から500年以上経て
初めて公開になるというフランス・アカデミーの本拠地
Villa Medici。

その前に友人に頼まれて
とある写真撮影をしなくてはいけなかったので
ヴァチカンのサン・ピエトロ広場へ。

Dscf7435
ここまできてミケランジェロのPietaも見ずに
写真だけ撮影して帰る贅沢さ。

この日ローマはこの夏一番の暑さ。
青空が暑さを物語ってます。


Trattamento all'Ufficio pubblico 3

2009-07-24 19:22:55 | 日記・エッセイ・コラム

果たすべき任務はまだ1%もこなしていませんが
すっかりぐったり。

前回までのお話はこちら

電話を切ったマントヒヒは
部屋を出てどこかへ消えました。
しばらくすると戻ってきて
「ほうら、私の言ったとおりよ。
今日はアポなんて取れないのよ、まったく手間がかかるわ。」
あ、ではどういった手続きをすればよいのでしょう。
「さっき言ったでしょ、聞いてなかったの。」
念のために。
「あんたの同僚にも言ったとおりよ、そっちで確認しなさいよ。」
は。わかりました。ではそうします。
ではこの書類はお渡ししていくので
60日の手続きを経て書留で召集命令を送ってください。
↑念のために確認してみたけれど、
確認しなくてもマントヒヒのいったことはわかっているのだ
という自己表示のつもりで繰り返してみましたが
無駄な攻撃だった…。
「けっ。ダメよ、この書類は受け取れないわ。」
なぜ?
「定型フォームじゃないからよ。
こんなニセモノみたいな書類受け取れないわ。」
弁護士が用意したものなのに、定型フォームじゃないと。
ではどれが正しいのですか?
「これよ。」
同じじゃんか!と思ったのだけれど確かに微妙に一文違う。
「ここの一文が鼻くそみたいに邪魔なのよ。」
わかりました、では作成しなおして持ってきます。
「さっさと帰りなさい。」

後ろも見ずに部屋を立ち去り階段を駆け下り
役所を飛び出してすぐに同僚に電話。
書類の定型が間違っているから受け付けられないって。
とりあえずオフィスに帰るから。

オフィスまで徒歩約20分。
なんか腑に落ちない気分で
ひたすら熱射病になりそうな暑さの中を歩いて帰り
到着するとすぐに電話がなり
さっきの同僚が「もう一回その書類持って行ってくれ」と。
なんで…。
もうイヤだ…。

私がオフィスに向かっている間に
彼はローマから電話してマントヒヒと改めて話し
我々が用意したフォーマットは
労務局のホームページから
弁護士がダウンロードしたものであることを説明、
改めて弁護士に手続きの流れを確認し、
やはり書類提出時に
アポが取れるべきであることを主張したそうで。

結局のところ、
スカートはいた厚化粧のマントヒヒ秘書が
手続きを間違えていたのであって
我々に落ち度がないことが発覚。

しかし往復40分歩く私の身にもなってくれよ。
暑い中とんぼ返りで労務局へ。
営業時間を過ぎていたので
入り口の扉のところでまたひと悶着あり
マントヒヒ秘書のところに行くのだ
と説明をしているところに
当のマントヒヒが
自動販売機のコーヒーを飲み終えて
通りかかり、私を発見。
「あらぁ、あなたを待っていたのよ。
早く通しないよ、そこ!」
待ってなかったじゃん、今コーヒー飲んでたじゃん
とは思ったけれど、まぁ業務終了さよなら!って
帰ってしまわなかっただけでよかったよ。

手のひらを返したような対応で
2階まで案内され、
書類が受領されアポが取れ
アポの日時が記載された書類が手渡され。
たった5分の手続き。

「じゃぁ、9月7日に待っているわよ。
2度も足運ばせてごめんなさいねぇ。」
私じゃないって、今度来るのは。
当事者の書類提出は認めないっていうから
私がいやな思いしてまで代理で来ているのに。
本当にマントヒヒは
自分の仕事の内容わかっているのでしょうか。
そんな人が秘書やっててちゃんと機能するんでしょうか?

なんか、イタリアが機能しないのって
やはり一人ひとりの能力の問題なんじゃないかと
つくづくと考えさせられました。
イタリアのお役所さ、
もうちょっとまともな人間を雇ったほうがいいと思うよ。
少なくとも一般市民と接する人には
ある程度の教育したほうがよいと思うなぁ。

決してすべての公務員がこのレベルだとは言いませんが
往々にしてこういう情景が繰り広げられるわけです。

たった5分で終わる作業に
往復40分2度させられ、あちこちで痛めつけられ
私の貴重な午前中はこうして終わり
その日は昼休みもとれず
当然ランチも食べずにしかもサービス残業までした。
われながら馬鹿だ…。