仕事帰りに時間ギリギリで立ち寄った上映会。
結局色々消化不良のままだったので、
せめて今まとめられるところだけまとめてすっきりしようかな、と。
でも、まとまってないので、長いです。
まず、上映された映画は「Armadillo」。
国際治安支援活動という名目でアフガニスタンに派兵される
デンマーク兵の6ヶ月に渡るドキュメンタリー映画。
Traillerはこちら 。
この作品自体、吐き気のする映画でもある。
吐き気のする理由その1。
映像の一部がかなり不快。
戦闘場面であったり、兵士たちの日常生活のシーンであったり
各所に不快なシーンも盛り込まれているけれど、
それこそが、戦争という異常な状況のすべてであるということ。
だから吐き気がする。
吐き気のする理由その2。
戦争否定であり、戦争肯定でもある。
この映画は立場が違えば
まったく違う内容として受け取ることができる作品。
もちろん今回は平和映画祭ということで
平和な世界を望む人たちが主催&参加しているので
そういう目線からはどう観たって反戦映画です。
でも逆の立場から観たら戦争擁護にもなりうる。
だから吐き気がする。
でもね、観るべき作品だなと思う。
今だからこそ観ておくべきかなと。
印象に残ったことは、
スポットを当てられている二人の兵士のうちの一人、
Madsの変化というか変貌。
おおざっぱに言うと
派遣地に向けて出発するその日の空港のシーンで始まり、
駐留から帰郷するその日の空港のシーンで終わるのだけれど、
明らかにMadsの表情が違っている。
彼が経験した「戦地」での6ヶ月が如実に表れていると
私は感じたんだよね。
それはことばではきっと言い表せない、彼の心の葛藤と、
彼の地での実戦や鍛錬で研ぎすまされ鍛えられた肉体の
筋肉や神経が生み出すものなのかもしれないけれど、
逞しくなったというだけではない、変貌。
戦争という異常事態が人の心に与える影響って
とんでもないものなんじゃないだろうかって背筋が寒くなるよ。
ほかに印象に残ったのは、
「タリバンだって貧しいから闘っているんだ」という
地元住民のつぶやきだったり、
「お前らはここへきて撃ち殺し破壊して帰っていくだけだ。
残された我々はタリバンのいいおもちゃだ」ということばだったり。
「住民の平和と治安を護るため」に派兵されているはずの
国際治安支援部隊は
地元住民に必ずしも受け入れられているわけではないし、
逆に彼らの生活の拠点である土地で
農地を荒らし、家畜を殺し、家屋を破壊し、人々を傷つける。
そして、そうして破壊したあとに、
その被害を訴える地元住民に対して
「あなたたちの協力なくては安全は確保できません」といい
「必ず埋め合わせをします」といって金を渡す。
それをみて、また吐き気がする。
果たしてそれが「治安支援」なんだろうかって、
映画を観ていて、何度も自然に疑問がわいてくる。
そして、ふとこんなことに想い至る。
もしも、正義を振りかざした国際治安支援部隊が介入しなかったら
地元住民とタリバンって多少のいざこざや紛争はあったとしても
こんなに醜い殺し合いまでして
互いに命を削るような状況にはならないんじゃないのかって。
つまり、部外者が武器を持って介入することで、
そこが新たに戦闘地域になっているだけなんじゃないのかって、
この映画を観ていると、そう感じざるを得ない。
そんな活動に自衛隊を加担させるために
どうしても憲法解釈を変えてまで
安保法制を押し進めなくちゃいけないんだろうか。
結局そこに行き着くわけですけどね。
映画の上映が終わったあと、
意見交換という時間が設けられていた。
会場を見渡す限り、私より年上の方ばかりで、
戦争を経験された方のほうが多かったかもしれない。
どこかで聞き古したような真っ当な反戦論が交わされたなかで、
私に消化不良を起こさせた2つの発言。
消化不良のもと、その1。
どこかのおじさまの発言でした。
ご自身に孫が産まれたそうで、
孫を手に抱くと、この子を戦争には行かせたくないという
想いを強くすると。
そこまでは良かった。
問題はその先、安倍首相批判になったわけですが、
驚いたことに
「私には子供も孫もいるけれど、安倍には子供がいない。
子供がいないから、戦争に子供をとられる心配がないから
戦争をできる国になっても平気なんだ」ときた。
おかしいでしょ、明らかに。
だって、私には子供もいないし、もちろんこの先、孫もできないわよ。
でも私は戦争には絶対反対だもの。
独り者や子供がいない人がみんな戦争擁護みたいな意見はおかしいって。
子供に恵まれたかどうかと、戦争に対する考え方はまったく関係ないことよ。
そして、分別のあるはずのいい大人がですよ、
いくら批判する相手だとしても、呼び捨てはないでしょう。
消化不良のもと、その2。
もしかしたら今回の映画上映の
実行委員会のメンバーかもしれないおじさまの発言。
戦争をさせないために、安保法案を廃案にするために
デモをはじめ、あらゆる手段を使って声を上げなくてはならない、と。
その通りだと思います。
参議院では自民党・公明党から8名の造反者が出れば
法案は可決されないので、
自民党・公明党の参議院議員に働きかけて考えを変えさせる必要があると。
そこまではわかります。
では何をしたらいいかという手段の話しになって
「沼津から当選した某という自民党議員の事務所に直接連絡をして、
考えを変えなければ、次の選挙で落としますと伝えましょう」だって。
おかしいでしょ、それって脅しですよ。
そういう姑息な手段を使うくらいなら、
何もしない方がずっといいわと思ってしまった。
まともに考えている大人も多いとは思いますが、
このご時世、
本当に時々びっくりするような考えの方に出会うことが多くて
その度に日本に帰ってきたことを後悔してしまう。
未だ自分の想いをまとめることはできないけれど、
私がずっと前からブレずに考えていることは
本当の平和ってね、武器をもってして得られるものじゃないし、
憎しみは何も生み出さないってこと。
相手の立場に立って考え、想像することができれば
今の自分よりもう少しだけ寛大な心で物事を捉えられるようになる。
相手のことを理解するためには
どうしたってコミュニケーションが必要になる。
だから無関心ではいられなくなるし、
心の扉をいつも開いていようと思うようになる。
そんな努力で「争い」は少しづつ自分の周りから消えていくんじゃないかな。
みんながそう思えば、簡単なこと、なんだけれどね。
Tolleranza e Intelligenza.
寛大な心と知性。
とどのつまり、そういうことなんだと思う。
まとまってないけどさ。
武器を捨てた日本だからこそ、
知性(つまりコミュニケーション力)をもって
違う形で国際社会の治安維持に貢献できることがあるでしょ。
今世界が必要としているのは、武器じゃなくて対話だと思うんだ。
安保法案を廃案にするためには
衆参両院の自民党や公明党の議員さんに開眼してもらうしかありません。
(造反じゃなくて、改心か開眼ね)
そのためにちゃんと声を上げ続けないとね。