今、まち育てを志す人達とで、納豆菌研究会を続け、準備を進めているNATTOWORKの根拠です。
生存条件を満たした戦後高度成長の後、次なる面白さを見つけがたい飽食・「平和」の日本に棲む人が、今、環情報世界に生き返る手がかりは?
「面白く無き世を 面白く 住みなすことこそ わが人生なれ」は、室町時代の茶人・千利休。
グローバルに流れる刹那的な刺激の氾濫に流されるだけで、情況への関心が薄れ、当時者感覚がなくなってきた。そこでは、「面白がる」から、面白い・好ましい・愛着をもつという自分事には発展しがたい。そして、育み・楽しみ合い・喪失を畏れ、モノ・コトが持続する命への愛着も薄れがち。
こんな、テーマ・目的のある場・組織を使い分ける機能的な分身生活が続けば、心情を統合しきれない分裂・躁鬱傾向も高くなり、不安基調の生活に。
移動も目的優先で、途中・地域の環境・状況に関わらない通行、他者との取引だけの非接触・非対話、プライバシー保護とセキュリティ維持のための隔離・孤立生活。
モノ+付加情報、或いは、コンテンツ化された娯楽が、パーソナライズされて集配される、消費生活。
環境と周りの人と関わりを深める合う機会を求め、ネット・メディアのワイド・バラエティ・談話への疑似参加が増える。
そして、これから、ルーチン思考・ワークをAI+ロボティックスに任すことが増えるとき、私は、何をしてゆける?
人の感覚による一次刺激を二次化し外部化した図象・文字・記号、音像・写像・映像などのメディアは、テーマ別に分化・輻輳化してきた。これは、生命・動物から人間への過程で、二次刺激を引き継ぎ続ける脳のニューラル・ネットワークがやってきたこと。
外部記憶としての表象・メディアが印刷化・複製・移送・蓄積が可能になり、音・写像・映像がアナログからデジタル化で、ネットワークが一極型から網状分散型に。そして、外部記憶の集積処理がAIとして、ロボティックスとも接合されてゆく。 そのAIへのデータ供給は、課題を感じデータにしてAIに提供し、差異・逸脱・誤謬・融合を面白がり・好み・愛でる人による。
これからの人ができることは、環境・状況を心身で伴にし、共用できるコトバを紡ぎ直し、問いかけ応え合いを重ねることでは、ないか?
その外部化されたAIブレインは、依然、その環境・状況を伴にした人に育まれた地縁的なものである。音声文字のローマ字言語と、象形・表意・音声が輻輳した日本語は、受容される脳のニューラル・ネットワークでの伝達の仕方まで異なる。10歳ぐらいまでの日常言語が、心身に焼き付けられ、その後は意識的な翻訳による伝達の経路を再編しつづけるだけ。 多様な言語に意味を全て翻訳移行することは出来ず、視覚・聴覚・嗅覚・触覚はその環境・風土と紡がれてきた言語表象固有の部分が残り続ける。日常生活最少としての、米語の抽象化された800語と、日本語のレトリックによる2000語で、意味されることは大きくズレている。
視覚的な紙メディアでも、地域文化固有の表現がより共有できる世界物語へ。アナログな電気メディアでの音楽・映像もまた、人間身体の衝動・運動だけで共感できる、グローバル表現へ。
これまでの脳は、身体を通じて、その地域固有に風土・文化を反映しながら、その親や周りの人の感性を、成長過程で引き継ぎつつ、再構築され続けてきた。今後、デジタルネットワーク上のメタ空間は、デジタル化された視覚・聴覚が可変的に組み合わされ、編集され続けてゆくだろう。かってのコミック・アニメを写した、フィギュアが、複製されて身の回りを埋めてきたように。或いは、ディズニーやユニバーサルスタジオの映画が実体化し、ポケモンがDXに拡がった延長は、世代を継承した記憶を踏み段に拡張する世界。世界遺産・自然遺産として、過去記憶の拡張も図られている。
そこがグローバルなスタンダードへと収斂してゆこうとするのは、物理・化学原理で合理的に動く機械側の指向。人の過去記憶から未来への欲望や恐れまでの差異を、数値に換えて、最大化したり、安定させるのだろう。
人は、風土・歴史など地域固有の生活文化を反映した感性を表現し、差異を拡大し、稀少性を維持することで、地域性が顕在化する。その地域意識を高め、地域の固有性を深め、他方で、地域外との往来による相互作用が、面白く・創発的で・補完的に、持続性を高める。サステナブルとは、自然環境の大きな変化に耐え、生命社会の持続性を高めること。
ネットワーク時代の地域は、行政・軍事で囲い込む地理的二次元的な空間ではない。 関わり合う人達が自己組織化してゆくリアル+バーチャルなコミュニケーションの濃淡になる。環境・身体・頭脳の自己組織的な人が、交通・通行・通信・メディアが、結節する場(ノード)を座標にして、リアル+バーチャルなコミュニケーションを繰り返す時間軸も持った4次元空間。
刺激のΣRecency(直近性)/ x ΣFrequency(頻度)/ΣAmount(コミュニケーション質量)が、まちの生活文化を表現することができる。
街道・鉄道で自己組織的に伸展・網状化して育った日本のまちの生成原理に沿えば、それを、#駅ごとタグで結びつけ、いつ・どこ・なにの4次元のダッシュボードで、「面白く・楽しみ・創発し・補い合える」、ローカル・コミュニケーション・スタンドを駅頭にということになる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます