モノと心の独り言

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政治も液状化?

2011-05-10 06:57:40 | 基本的なコト
政治とは、出来ることを選び、出来ないことをあきらめさせることなのだが・・・
失うことを恐れると、出来ないことばかりならべ、
出来ることも、出来なくなってしまう。

希望と諦めは、表裏一体。
希望がなければ、あきらめることもない。
ただ、状況に満たされることだ。

肥大した希望の果て、
いやメタボな希望に身動きが取れない日常。
永遠に続くと思われていた日常が、
想定外の大津波に洗われてみると、
もう一度、身のまわり、最小限の手がかりから出発。
手をさしのべ合える相手こそ、必要とする。
話し相手・仕事相手
世話をし合い、たより、
束縛され合い、なじみ、
些細なことが、見え、感じられ、・・・・

エッ! 大型液晶TVでみると、世の中が綺麗に見える?
そりゃそうだ、選ばれれ、照明を当てられ、増感された画面は、キレイなのだ。
世界のショーウィンドウが、今や居間に。
ネットに繋がれば、インタラクティブ!

そのカタカナが、危ない!
インタラクティブを双方向と理解してしまうと、
それでコミュニケーションができると錯覚してしまう。

仕掛けられたボタンを、言葉を、選ばされるのが、インタラクティブ。
双方向とは、違うでしょう?

最後まで錯覚させてくれれば、いいのに・・・・
ディズニーランドも液状化で休業したでしょ!

だから!
だから?
政治は、まず目の前の2人の相手から、どちらを選ぶかどうかではなく、
何ができるか、できないか? 出来ているか?出来ていないか?
それを起案・決定・実施・経過観察・経過評価をしつづけられる手法を採れるかどうか?

それが、双方向のメディアが必要になる理由だし、
当事者が現場で、ネットに繋がりながら、対応してゆく必要性でもある。
現場とネットを両方使える政治家なら、もっと国・県・市・町で、
専業議員数を減らせるのだろうに。

そうなのだ、議員定数の不公平や、道州制など、結果の論議から入らないで、
何をどう検討し・決定し・経過をフォローしながら進めるかという手法から入って、
あとから人や道具や箱を考えないと、何のための政治システムなのか分からなくなる。

そりゃー、雇用確保、退職後の安定のためだよ・・・・
なんて言っちゃったら、オシマイ
議員の生活・雇用保障なんていったら、国民が支援する議員をえらぶ選挙になる。
その議員の生活を支援するの?
いや、その議員が抱えている利害関係団体・組織・企業を選ぶの!
え?政策ではなかったの?
政策はものの言いよう!
復興だという名目で、なんでもできるの!
なぜ国民は、それを放置するの?
そのおこぼれに預かるほうになりたいから!

一株株主でも、資本家だと錯覚してしまうのだから、
一票でも・・・主体だと、錯覚になるかどうかは、手法の問題なのだ。
直接投票ということ?
いや、情報の非対称性を考えると、やはり代議員制が必要なのだ。
それも、議員とブレインのセットが必要なのだ。
ブレイン?
そう、選挙対策の事務員ではなくって、政策検討・確認などのスタッフが必要だ。
大学は?予算配分で編成してしまっているよ。
あーだから、新規の政策委員会などが、どんどん出来てくるんだ。
そして、全体が液状化!

・・・・政治も液状化!

そうか、日本沈没ではなくって、日本液状化!
泥沼? いや、泥なら乾けば、日干し煉瓦。
砂を固めるには、高温・高圧のプレス機が必要だ。
接着剤では? 
・・・・
世代も言葉も乖離しているからね~~~

*たとえすぎてしまった。

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