4月15日東京都防災隣組第一回の認定式を中央区での地域Webマガジン「いつどこサイト」で取材した。(速報)東京都といってもそれぞれの地域の特性があり、近隣の関わり方も違う。
中央区では、銀座・京橋・日本橋から認定された。高層住宅が増えた佃・月島・晴海は、昭和から平成へと新たな隣組へ手探りが続いている。
<大都会・東京・都心の生活を考える>
職・住・遊が近接していても、人の関わり方は、村と都会とは違う。マンション・オフィスビルの1フロアが路地でもあり、エレベーター前が交差点、ロビーはすでに通りで直近の地下鉄駅や車へと足を急ぐ。出かけたら何百人何千人とすれ違うから、挨拶どころか目を合わさない。視線を合わせ、気持ちを通わせていたら気疲れしてしまう。電車で互いに居ないように振る舞うのは、都会のマナーであり、じろじろ見たり、話しかけようものなら、気持ち悪がられるのが落ち。年配ばかりでなく、コミック・ケータイ小説育ちも自意識の固まり。プライドを傷つけられないように大人らしく、おとなしく。プライバシーを縦に、社会からひっそりとしている反面、都合の良い時は認めてもらいたがってもいる。
家庭をればすでにそこは社会なのだが、身を晒し、顔をさらしていても、記憶されないように肖像権を主張する。村で会話は、伝言され歪曲される噂、陰口が溜まって、村での序列や排除の手段となる。町や都会の学校や組織でも会話がネットを飛び交えば、学校・職場・組織外での参照され得ないコトまでが、コトバの餌食にされて、相互監視の手段となる。生まれた直後からTV映像とゲームで疑似体験してきた子どもに、家族の気風は身につかない。家庭は意識して維持する’幸せそうな’枠となり、崩れたあとだからこそ’家族の絆’が話題にされてしまう。もう、町や村や家族や世帯や近隣に伴っていた昭和のしがらみは、無いが故のあこがれとなっている。東北の人の絆は、東北に活きる厳しさ故であり、北海道の暖かさは、厳冬の孤立が死に直結するからなのだ。
今、大都会に、江戸時代の隣組、身を削っての助け合いを支えるお上や沽券の庇護はない。社会的な支えの隙間が広がっている今、ただ互助・互恵とのモラルで語っても、制度・法律で縛っても、タテマエで終わるだけ。信頼とは、お互いに期待しあう行動が伴う関係。絆とは、切ろうとしても切れないしがらみ。失ったら叫ぶ’安心・安全・信頼・絆’のお題目。
お互いに、優先順位をもって、出来ることと出来ないことを仕分けして暮らそうとしている都会人は、昭和を越えていきてきた、平成人になってしまっているのだから。三丁目の夕日も江戸時代の五人組も、裏側を見ないで美化すれば、娯楽。
<では、現代の防災隣組とは?>
空間的な隣接ではなく近接性なのだ。空間・時間とメディア・コミュニケーションがその手がかり。近接性とは、参照するメディアの共通性・会話・通話・書信・メール・ビデオチャットなどの利用の直近性・頻度・累積回数の積なのだ。
村の生産と子孫継承・継続まで一体の経済共同体が解体したとき、その経済地理資源を共用しながらも、立場も経過も問わない個人が集散しつづけるのが都会。持ち寄ったふるさとの文化は異なり消えかけて、時と場に応じた振る舞いのマナーとして’気’までが問われる基準なき相互監視状態。習慣からマナーが固まるはずはない。
契約社会である米国は、多民族・多信仰を認めるがゆえに最小限のルールを、神との契約であるコトバが国の基準なのだ。
それでも、それでも州ごとに違うのは、出自と季候風土の違いが反映している。
では、東京。江戸時代は武力で、明治以後は西欧国家に対して、そして平成では、アジアの一つの大都市として、何をして防災隣組を組むのか?隣の庭をくらべようと比べ合った昭和は終わり、ひとそれぞれの暮らし方を比べもしない、口出しもしないのが平成。
被災の場での連携の手がかりは何か?それは、メディアとコミュニケーションの近接性を反映した、地域活動への参加・関与の痕跡なのだ。繰り返された関わりの馴染みよることは人本能、昔と変わりはしない。
そして、被災対応は、その被災現場と被災していない支援現場を繋いでゆく必要がある。だから、地域内防災対策は、片面だけである。公共・広域機関は、広域レベルでの優先性があるから、持続的に個別地域だけ面倒見てくれるわけではない。最悪の場所で尚かつ救うに値するところ、医療的なトリアージと同じなのだ。
支援地は被災を受けない遠隔地、そして個人ではなく多様な地域の力をが必要なのだ。関東大震災の時、築地本願寺は、関西の本願寺のネットワークを活かして支援を集めた。今、東北支援は、行政別に支援先をしぼっている。では、市民は、個人は、どうすれば・・・?東北支援では、教会のネットワークとママ友の近接力が’佃LOVES東北’として、高層マンションなどの家族による支援を続けている。
そんなこんなで、
現代都市の近接性を活かそうと、地域SNSいつどこ中央では、「繋がりのマチカレンダー」で、知らせたい行動予定の共有から始めようとしている。知らせようという意志と手間をかける人、市民活動でも組織でも企業でも、個人として募りたい活動を共通のカレンダーでリンクしようとしている。
今日、明日ばかり大切なネット社会であるが、明後日の夢と不安に応えらればと考えている。そして、昨日・一昨日・・・の記録自体が、持続的な関係づくりの手がかり。過去のカレンダーは、地域の歴史の入り口になれば。
うだうだ長文は、’独り言’に書くことにしている。
明日18日は、「繋がりのカレンダー説明会」を主催する日。
明後日20日は、減災情報システム合同研究会第1回ワークショップ
普及してきた道具、通信・情報ネットワーク・システム・そして誰もが持ち歩いている機器が、平成に追加された手がかりなのだ。発信しなければ、ただの只のマス・雑音のレシーバーでしかないのだが。
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