いつのまにやら、
大晦日から元旦へ。
チャントした家父長的家族や、
母系的家庭的な活動に、深く関わらないで、
チョット参加するだけという感じながらの、
「明けましておめでとう」です。
人それぞれに、鐘突き、初日の出、初詣に参り、参加して、
紅白・第九・レコード大賞・格闘技・漫才などなど、同期メディアを楽しみ、
DVDやネットで、パッケージされた映画など、それぞれに異なるものを観て、
その間にも携帯電話で、つながり合って・・・・
誰もが、同期・半同期・非同期の
多様で多層的な関係の中にいる、
ということなのでしょう。
マクロ的・積分的には、社会の無意識を共有し、対称性の中いるのでしょうし、
「キーワード」「ランキング」に中央化・一元化をみる
ミクロ的・微分的には、個人の数奇を求め、相対性の狭間を感じます。
「行為の代数学」フラクタルな自己組織化を基点として
個人としては、
必要なとき応えうる姿勢と、
自ら動く軸線を、しっかりしておきたいと、
思う、元旦
ふと、連れ合いと、
身近な神社に参り、
近所の人たちと参拝に列を作り、
一人では、どうしようもない諸々に、
頭を下げ、お礼をし、祈るのは、
二礼、二拍手、一礼
通時・共時・常時の中に
正に居る。
大晦日から元旦へ。
チャントした家父長的家族や、
母系的家庭的な活動に、深く関わらないで、
チョット参加するだけという感じながらの、
「明けましておめでとう」です。
人それぞれに、鐘突き、初日の出、初詣に参り、参加して、
紅白・第九・レコード大賞・格闘技・漫才などなど、同期メディアを楽しみ、
DVDやネットで、パッケージされた映画など、それぞれに異なるものを観て、
その間にも携帯電話で、つながり合って・・・・
誰もが、同期・半同期・非同期の
多様で多層的な関係の中にいる、
ということなのでしょう。
マクロ的・積分的には、社会の無意識を共有し、対称性の中いるのでしょうし、
「キーワード」「ランキング」に中央化・一元化をみる
ミクロ的・微分的には、個人の数奇を求め、相対性の狭間を感じます。
「行為の代数学」フラクタルな自己組織化を基点として
個人としては、
必要なとき応えうる姿勢と、
自ら動く軸線を、しっかりしておきたいと、
思う、元旦
ふと、連れ合いと、
身近な神社に参り、
近所の人たちと参拝に列を作り、
一人では、どうしようもない諸々に、
頭を下げ、お礼をし、祈るのは、
二礼、二拍手、一礼
通時・共時・常時の中に
正に居る。
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