モノと心の独り言

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”待ちもうけ”、”頃合い”に「指し示す=行為」のリアリティ

2006-01-08 10:41:27 | 基本的なコト
個人の存在の基点を、行為=指し示すこととして「行為の代数学」・・・
行為は、時期と身体の場に縛られている。

その身体を棚上げして、
行為の”時”を、通時・共時・常時とか
”期”を、同期・半同期・非同期とか語る。

”時”は、月日のうつり、ころ、おり・・・
”期”は、待ちもうけること、とりきめた日時、
一定の時からとき間での間(出典:広辞苑)
ミレナリオ・・・

同期・半同期・非同期と通時・共時・常時で、時期を超え、

行為も、TVゲームもマネー・ゲームも、リプレイが可能な軽さで向かえるのは、
とにかく、成長期・成年期の死亡率が落ちたからなのだろう。

私たちは、”死”という週末、ではない、終末があるからこそ、
複合した時制と、期限を重ねて、
この長くて短い命を盛り上げ、燃えられる。
そう、
決して、点きっぱなしの非常灯や、
バッテリー残量をしめすダイオードみたいには、
なりたくないよね。

バカボンの叔父さんは、
身体時間に官能的
(要は、動物的なのじゃ)

”始まりがあれば、終わりがある”因果律(引用:映画「マトリックス」)
”色即是空”

一番どうしようもない、”死”が、
私を、この”時”と”期”の、放り出すまで、
同期・非同期、半同期で、
”待ちもうけ”、
”ころあい”で盛り上げる仕掛けは、
大掛かりになるけれど、
通時・共時・常時は、その盛り上がり基礎部分、
或いは、求めるのは、掘り下がり、
深さ、肌理の細かさ、微妙さなのでしょう。

分かりやすいことを求める大衆文化や、
貴族文化のヒエラルキーを憧れ、懐かしむのではなく、
身体のリアリティで、流動化から粒化へと進む。

その粒を支えるのが、半同期・非同期メディアであり、
共時・同時を可能にするマルチ・プロセッシングなのでしょ。

とりあえず、今年も働くことと楽しむことが分けられないで、
多くの人のお世話になりそうです。
そして、同期・通時化しきらない我侭で、傍にかける迷惑も、
減らさないとの、年初め。

(自覚が軽いよ!)
(まじめに考えたら、社会人でも大人でもない自分が見えてくる)

リアリティ


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