舞台『 no direction 』3月3日(土)19時30分公演を観る。
生命から動物・人間社会・今・これから
多様な方向があるということでも、方向が無いということでもなく、
重層する方向を共有している感覚
パナソニックセンター東京 有明スタジオで
舞台床から折りあがった観客席の斜面に、
転がり滑り落ちないように支える身体を抱えながら、
場・身体-無我・自我・超自我の交感を楽しむ。
耳障りな音から、
菌糸が伸びてゆくような映像、
常に雌雄・男女が対比を成し、
向かい・関わり・離れあう衝動
自然から街へ
親しいクマのぬいぐるみ、モノ、
親、社会、歴史も、
モンドリアンのようにコンポジションしなおされ、
群れとしての有り様で、終わる。
エディプス・コンプレックスからの開放を感じた
映画『エヴァンゲリオン』劇場版とは違い、
男女・家族という自閉的なつながりではない
イド・エゴ・スーパーエゴという心理構造での
群れとしての、人間を感じた。
Nibrollというグループのあり方、生き方を強く感じられる舞台だった。
しかし、矢内原美邦の衝動を身体に投げ込むような動きは、
舞踏の一歩手前、少女のような初々しさと
身体から離れたとこにある醒めた意識、
“色即是空”
なのかもしれない。
nibroll
矢内原美邦舞台
舞台『さよなら』:命の衝動と身体のずれ
舞台『青ノ鳥』:自然と身体とコトバの関わりの豊かさへ
舞台『3年2組』、生命の衝動・共振を伝える身体と言葉
生命から動物・人間社会・今・これから
多様な方向があるということでも、方向が無いということでもなく、
重層する方向を共有している感覚
パナソニックセンター東京 有明スタジオで
舞台床から折りあがった観客席の斜面に、
転がり滑り落ちないように支える身体を抱えながら、
場・身体-無我・自我・超自我の交感を楽しむ。
耳障りな音から、
菌糸が伸びてゆくような映像、
常に雌雄・男女が対比を成し、
向かい・関わり・離れあう衝動
自然から街へ
親しいクマのぬいぐるみ、モノ、
親、社会、歴史も、
モンドリアンのようにコンポジションしなおされ、
群れとしての有り様で、終わる。
エディプス・コンプレックスからの開放を感じた
映画『エヴァンゲリオン』劇場版とは違い、
男女・家族という自閉的なつながりではない
イド・エゴ・スーパーエゴという心理構造での
群れとしての、人間を感じた。
Nibrollというグループのあり方、生き方を強く感じられる舞台だった。
しかし、矢内原美邦の衝動を身体に投げ込むような動きは、
舞踏の一歩手前、少女のような初々しさと
身体から離れたとこにある醒めた意識、
“色即是空”
なのかもしれない。
nibroll
矢内原美邦舞台
舞台『さよなら』:命の衝動と身体のずれ
舞台『青ノ鳥』:自然と身体とコトバの関わりの豊かさへ
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