ここちよい近さがまちを変える/ケアとデジタルによる近接のデザイン: Ideas for the City That Cares
エツィオ・マンズィーニ (著), 安西 洋之 (翻訳), 山﨑 和彦 (翻訳), 本條 晴一郎 (翻訳), 森 一貴 (翻訳), & 2 その他
解題すれば、人の気遣いをリアルとネットにより自律・持続できる人・コト・モノの有り様、とでも言い換えられます。
’近接’とは何かと問い、目的―結果の意識的な機能的近接と関係的近接に分け、
専門化と多様化の両極を、近代合理性と古代多様性を、現代デジタル・情報・ネットワークがハイブリッドに超えて、人間個人中心の近代から、「モア・ザン・ヒューマン」環境・生物・文化の一部として、住みよい近接の要素を分析しています。
近代合理都市を、’距離の都市’と分離した機能空間のモノ・ヒトの移動を最大化して環境・生活の破壊から、機能的近接と間接的近接をデジタル・ネットワークでハイブリッドに相乗させ、多様化した近接の場・マナー・システムによる’近接の都市’を目指します。
マナーとしたのは、人が互いに気づき・認め合い・見守り・手間を掛け合えるケアワークの事です。システムとは、出会う場所:街路・広場・共用できる空間、共用できる制度、調整し合える情報システムなど、多様化した近接を可能にする空間・時間の仕掛けのことです。
近接は、そのケアワーク(生存の補い合い)ばかりでなく、創発しながら楽しみ合える、持続的な住みよさの前提です。そのための要素は、①社会的な会話を生じさせる活動(アトラクター)、②小さく多様な活動(プロジェクト)が、行政・社会セクター・社会活動家の一方的な推進でなく、現場の人中心に構築・再生され、通常性をもてる社会システムが必要です。その近接の機会、多様なプロジェクトの持続する状態をコミュニティと云えるでしょう。その手がかりが地域で共用できる、コモンズの集積なのだと。
本書では、モデル地域をイタリアのミラノとスペインのバルセロナで紹介しています。
ミラノでのコモンズは、人の行為を軸としたケアの街づくり。バルセロナでは、近代都市計画の上に、空間の共用から進める街づくり。ルネッサンスの人間中心主義の根付いたミラノ。コロンブスが出港し、植民地経営で潤った商人の街バルセロナ。オランダから英米へと広がったプロテスタントの新自由主義より、カトリック教会を守りながらコモンズが根付きやすい街でもあります。
ミラノの人口は、約137万人、バルセロナの人口は、約160万人。人がコミュニケートしやすい人数は、数人から15人程度。リアルに関わり易い人数は300人。デジタル機器のデータを参照しながらでも、顔と名前が一致するのは、3000人ほどまでだと社会学者の説です。
では、東京都は、1400万人ほど、首都圏は、3400万人ほど。15分生活を掲げるパリの人口は、215万人ほどですから、今、東京生活で、近接と云っても、リモートで住まい回りだけで暮らすことはできないでしょう。
そもそも、街の成り立ちが異なります。欧州の城と城壁に囲まれ、教会と広場に集う市民の街です。地方の神社・仏閣の門前町と幕藩の城下を街道で江戸につなぎ、半数の武士生活を支える町人が集められた江戸。明治以後の近代化では、街道が鉄道に、鉄道駅が産業・商業・政治のための機能別から、更に集中化した東京首都圏です。田園都市構想を実現したのは、東急電鉄・阪急電鉄で、鉄道利用と飛び地の不動産・商業施設経営から、沿線生活まで関わりだせたのは、最近です。
コロナ禍中で、情報ネットワークとリモート生活に馴染んだ結果、リアルとネットでの近接生活へと、移行しつつあります。一方向は、すべて家から・家までと家まわりのリアルとネットによるグローバル市場生活へ。他方は、ネットの手がかかりを、家まわりのリアルな生活の充実に当てようとする方向です。
『ケアとデジタルによる近接のデザイン』では、遠隔医療・介護はバイタル情報に留まり、ケアに必要な近接差を失った’遠隔放棄’だと云います。生産と消費を分け、都市空間を農林水産の地域、工業地域、商業地域(物販中心・管理業務中心)、行政・公共施設と分け、道路を効率的な移動のための自動車優先と分散する駐車場に使ってきた近代都市:距離の都市です。グローバル化とITネットワークによる生産・流通・販売の人流・物流を止めたのがパンデミック。気が付けば、農林水産も人が生活する水・空気の環境自体が変貌を遂げ、生活ばかりでなく、生存の持続性も問われています。
しかし、人の欲望は、差異を求めてきたが故に、か弱き身体で、自然を変形し、他の生物を押しのけてこれたのです。デジタル化したら更なるバーチャル空間を拡げ・満たしてゆこうとするでしょう、その身体が支える限り。
その身体・この身体もまた、脳科学・認知心理学・行動科学などにおいてセンシング・ネットワーク・情報処理技術による、近代的自律的自我意識の幻想が剥がれ、自然的・社会的状況の中の他律的な状態だと見なすこともできるようになりました。
言い換えれば、今までの意識的・言語的に表現されてきた情報が、デジタル化・ネットワーク化・累積するAIによる自動生成へと収斂しかねない未来から脱線するには、この不可思議な身体を活用する方向を採る時期にきたと。
それは、身体の動き方・居場所次第。限られた意識で、共有できる好奇心を交わし合い・あるいは鮮やかな美の極みをもとめて、感覚をソトに開いてゆく時期だと。すべて、自己管理する欲望:モノも権威も金も私有する生活から、より共感・共用できるコモンズを増やす欲望を育てる時期にと。
今、鉄道会社の研究所とまちづくりの現場にいる人たちと、近代日本の街の要:鉄道のネットワークと人と人との関わりを、ハイブリッドに支えるプラットフォームづくりを、「納豆菌研究会」として、続けています。 今年度は、大学関係者とともに、地域実証活動をしてゆきますが、そのココロは、’近接のデザイン’。本書の、戦略・戦術がとても参考になります。
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