モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

当選おめでとうと、議員先生ではなく、代議員にお祝いを

2011-04-27 02:49:25 | 暮らし・街・環境
代議士候補者から、代議員になって、頭を下げるのは誰?

地方選挙が終わって、地方行政の予算利用に関する代議員が選ればれた。
行政単位が小さくなるほど、当選最小数が少なくなる。
昔のように、通信・情報共有の手段が少ないと、支援する団体・組織は固定的だったが、
今は、街角で顔と名前を売り、どぶ板を直すような利益誘導型を求める人は減る傾向ではないか?
かといって、一つの施策で、大きく変わることを期待できるほど、単純な社会ではなくなったので、理論と方法と予算が適切であっても、その現実性は僅かだ。

行政で関与できることが相対的に小さくなって、
マスコミが通信・情報化が個人まで進んだ市場社会で生き残るためのスキャンダルと広告メディアとして、情報整理力を失ってきたときに、
新鮮なのは、身のまわりのことを直感的にも感じながら対処し続けて見えてくる人の社会の深さなのだろうか?

支持する団体の視点だけでなく、地域や関連する広域への視点をもって、
オープンに行動できる代議員が選ばれたことを信じている。

一部の人のパイプ役ではなく、
今一度、一代議員として、広く情報を集め・整理し・対話しながら検討し・行政区へと提言・判断を続ける人たちであってほしい。

これから、選挙民が、代議員先生に頭をさげて、うちのどぶ板お願いしますという、時期に入る。
議員ではない、代理に議論をする要員として、代議員なのだ。
’代’が省かれると、先生と呼ばれることになる。
先生と崇めれば、どぶ板が直るとおもうから、頭を下げる。
どぶ板は、そこら中在るから、頼んだ早いモノ勝ち、親しい支持者勝ち。
頼める暇のない人は、投票することは少ないだろうし、社会に対する希望もない。
ただ、被害者となって、自活できなくなったときに、嘆願するのみなのだ。
当然、儲かっているときは、節税に励む。
地域社会に支えられているとは、感じていないのだから。税金は、少しでも少なくしたい。

戦後の借款、高度成長時代の特別会計など、実体を知らない国民は、
国家財政が破綻しても、世話になったと感じていないから、増税を掲げる代議員には投票しない。
国同士の施策で、為替や関税が相対化する時代は、国の施策次第で、国民の個人資産の換算レートが変わる。国とカンケイナイと思っていても、個人資産の基準は、国力であって、目先の数字ではない。

目先のどぶ板の問題の共通項を見出し、広く共有できる施策を打ち出す代議員であってほしい。
地方選でも、国会でも、利益誘導型はは、将来の禍根。
社会理論は、イデオロギーから、検証型へ、そして行動し効果を見ながら修正してゆくナビゲート型になってきた。日替わり・週替わりのスキャンダラスな国政・地方政治の批判ではなく、
適切な期間毎に施策・実施状態・効果に関する情報を共有できるメディアが望まれる。

毎日、ドラマチックにワイドショーみたいな報道や、ニュースキャスターが感情を顕わにして、データを隠してしまえば、だれもが144文字のつぶやきに、翻弄されてゆくだろう。
つぶやきが有効なのは、基礎的な情報が共有されているときなのだ。

さて、長ったらしいつぶやきの日々は、この辺で!
(長い独り言は、被災被災後遺症。続けると慢性になりそ~)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿