実証的世界に対し、体験的世界という、行為と認識が不可分になっている世界がある。
近代への過程で観察者・実証者により知覚され・言語化され・思考された認知領域は、
行為の全体の極一部でしかない。
そこで、体験者の行為とともに成立している認知を記述する為に、
遂行される経験そのものを貫く’機構のモデル’と、
行為知そのものの遂行のさなかで記述する、’まなざし’が求められた。
前者がシステムの機構であり、後者が伝統的な現象学である。
システムの機構は、
第1世代=動的平衡系:静的な構造、
第二世代自己組織化:生成のシステム、
第三世代オートポイエーシス:行為として制作と認知を繰りかえし境界を形成し続けるシステムとして捉えられてきた。
『オートポイエーシス-第三世代システム』
その”まなざし”は、現象学として、上記の位相図のように、
知覚・言語・思考の意識された記述できる認知領域に、言葉を重ねることが多く、
感覚・身体・情動・感情の影のような記述でしかなかった。
これらを、構造化したり、構築を繰り返しても、断面的な自己組織を外部から表象するに留まる。
この著書にも多くふれられている、二クラス・ルーマンは、
コミュニケーション・システムとして、個人と社会のシステムをモデル化した社会システム論を展開している。
それは、生物学からのオートポイエーシスを、認知領域を中心として展開し、
個人システムでは、”愛の歴史から、親密さのコード化を行い、
社会システム論では、権力・法・教育・芸術など、分化・自律する個別システムが、
位相空間的に多重行動をするカップリングにより持続的な形成を述べている。
参考
『情熱としての愛―親密さのコード化 』二クラス・ルーマン
『社会システム理論 上』ニコラス・ルーマン
『社会システム理論 下』ニコラス・ルーマン
『社会の芸術』二クラス・ルーマン
この認知領域の言語のしがらみを抜けるには、
大澤真幸のように、スペンサー・ブラウンの『形式の法則』を適用することもできる。
「行為の代数学」フラクタルな自己組織化の基点として
心の働きをエージェントの集まりとして分析すれば、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』として、AIから語る方法もある。
また、ニューラルなプロセス(認知的無意識)から、アイデアと感覚運動の同時賦活を明らかにしようとするジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソンの『肉中の哲学』もある。
概念の身体化 3レヴェル
河本英夫氏は、感覚自体・身体自体・情動・感情自体を、生物学・脳科学で参照しつつ、
精神医学・認知運動療法など、経験の変貌・世界の変貌を記述し解析するために必要なのが、
『システム現象学―オートポイエーシスの第四領域』だと記している。
この第四領域とは、
行為の認知領域での知覚・言語・思考からではなく、
制作領域での、感覚と身体の活動に直結した活動として、
運動感・情動・感情などの内感 ‐ 気づき - イメージへの
複合運動系のことである。
この複合運動系は、音や色・形などにより近く、イメージとして捉えられ、
行為の調整の手がかりとなっていると考えられている。
そのごく一部が、認知領域での知覚・言語・思考へと変換される。
認知領域では、知覚され・センサーで観測されたことが繰り返されることのみが実証科学されてきた。
デジタル化、ブロードバンド・モバイル・ネットワークの実現が、
この音や色・形などでのコミュニケーションとメディアを拡張してゆく。
活字・文字・言葉に相乗する、音や画像・映像が個人の道具になってくる。
注意点は、
・言語イメージに固執することなく、図や音などのイメージを取り込むこと
・画像・映像などのコピーメディアのフレームと過剰には気をつけること
・生物学も脳科学も、活動の原因ではなく、発現の手がかり・結果確認の道具
刺激の強度・速度の過剰は、感覚・身体・情動を乖離させ、余剰である感情を失いがちになる。
刺激の断片に即応してしまい、持続的な行為が難しくなり、より個人も社会も流動化する。
断片とは、メディア・コンテンツであり、たとえばiPodから流れる音楽に感情は支えられ、
検索された単語、ザッピングされたメディア・コンテンツは、
社会システムに個人システムを直接接続し、
コミュニケーションによる意味の形成を不要にする。
アニメ・コミック・フィギュア、
そして、ブランド化したリッチ・コンテンツ商品も、ストック・マーケットも
個人システムを社会システムに直結する仕掛けではないか。
この孤立する個人システムどうしを繋ぎ合わせるために、
複合運動系の第四領域の意識化が必要のようです。
その意識化の始まりが、”親密さのコード化”かもしれません。
社会システム論のルーマンによる”愛”、生の動機づけ、
コミュニティは、コミュニケーションにより求めらる帰属感
近代への過程で観察者・実証者により知覚され・言語化され・思考された認知領域は、
行為の全体の極一部でしかない。
そこで、体験者の行為とともに成立している認知を記述する為に、
遂行される経験そのものを貫く’機構のモデル’と、
行為知そのものの遂行のさなかで記述する、’まなざし’が求められた。
前者がシステムの機構であり、後者が伝統的な現象学である。
システムの機構は、
第1世代=動的平衡系:静的な構造、
第二世代自己組織化:生成のシステム、
第三世代オートポイエーシス:行為として制作と認知を繰りかえし境界を形成し続けるシステムとして捉えられてきた。
『オートポイエーシス-第三世代システム』
その”まなざし”は、現象学として、上記の位相図のように、
知覚・言語・思考の意識された記述できる認知領域に、言葉を重ねることが多く、
感覚・身体・情動・感情の影のような記述でしかなかった。
これらを、構造化したり、構築を繰り返しても、断面的な自己組織を外部から表象するに留まる。
この著書にも多くふれられている、二クラス・ルーマンは、
コミュニケーション・システムとして、個人と社会のシステムをモデル化した社会システム論を展開している。
それは、生物学からのオートポイエーシスを、認知領域を中心として展開し、
個人システムでは、”愛の歴史から、親密さのコード化を行い、
社会システム論では、権力・法・教育・芸術など、分化・自律する個別システムが、
位相空間的に多重行動をするカップリングにより持続的な形成を述べている。
参考
『情熱としての愛―親密さのコード化 』二クラス・ルーマン
『社会システム理論 上』ニコラス・ルーマン
『社会システム理論 下』ニコラス・ルーマン
『社会の芸術』二クラス・ルーマン
この認知領域の言語のしがらみを抜けるには、
大澤真幸のように、スペンサー・ブラウンの『形式の法則』を適用することもできる。
「行為の代数学」フラクタルな自己組織化の基点として
心の働きをエージェントの集まりとして分析すれば、マーヴィン・ミンスキーの『心の社会』として、AIから語る方法もある。
また、ニューラルなプロセス(認知的無意識)から、アイデアと感覚運動の同時賦活を明らかにしようとするジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソンの『肉中の哲学』もある。
概念の身体化 3レヴェル
河本英夫氏は、感覚自体・身体自体・情動・感情自体を、生物学・脳科学で参照しつつ、
精神医学・認知運動療法など、経験の変貌・世界の変貌を記述し解析するために必要なのが、
『システム現象学―オートポイエーシスの第四領域』だと記している。
この第四領域とは、
行為の認知領域での知覚・言語・思考からではなく、
制作領域での、感覚と身体の活動に直結した活動として、
運動感・情動・感情などの内感 ‐ 気づき - イメージへの
複合運動系のことである。
この複合運動系は、音や色・形などにより近く、イメージとして捉えられ、
行為の調整の手がかりとなっていると考えられている。
そのごく一部が、認知領域での知覚・言語・思考へと変換される。
認知領域では、知覚され・センサーで観測されたことが繰り返されることのみが実証科学されてきた。
デジタル化、ブロードバンド・モバイル・ネットワークの実現が、
この音や色・形などでのコミュニケーションとメディアを拡張してゆく。
活字・文字・言葉に相乗する、音や画像・映像が個人の道具になってくる。
注意点は、
・言語イメージに固執することなく、図や音などのイメージを取り込むこと
・画像・映像などのコピーメディアのフレームと過剰には気をつけること
・生物学も脳科学も、活動の原因ではなく、発現の手がかり・結果確認の道具
刺激の強度・速度の過剰は、感覚・身体・情動を乖離させ、余剰である感情を失いがちになる。
刺激の断片に即応してしまい、持続的な行為が難しくなり、より個人も社会も流動化する。
断片とは、メディア・コンテンツであり、たとえばiPodから流れる音楽に感情は支えられ、
検索された単語、ザッピングされたメディア・コンテンツは、
社会システムに個人システムを直接接続し、
コミュニケーションによる意味の形成を不要にする。
アニメ・コミック・フィギュア、
そして、ブランド化したリッチ・コンテンツ商品も、ストック・マーケットも
個人システムを社会システムに直結する仕掛けではないか。
この孤立する個人システムどうしを繋ぎ合わせるために、
複合運動系の第四領域の意識化が必要のようです。
その意識化の始まりが、”親密さのコード化”かもしれません。
社会システム論のルーマンによる”愛”、生の動機づけ、
コミュニティは、コミュニケーションにより求めらる帰属感
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