矢内原美邦さんの’07『青の鳥』9月23日の舞台を、吉祥寺シアターで観た。
「君のことは覚えているよ」 ではじまった’05.7『3年2組』
「あっというまに大人びているんだね」 ’06.7『青の鳥』
「そんで、また、コンニチハ」 ’06.12『さよなら』
’生命から動物・人間社会・今・これから・・・’ 07.03『no direction』
そして今度は、「口から無理に出そうと思わなくても」の’07『青の鳥』
演技に載せられない衝動を、映像と音響で伝え
紗によって隔てた空間、映し出される映像、手書きのアニメーション
身体とコトバで衝動をつたえることとマイクでささやくことを重ね
文字という断片を載せた紙の吹雪
みんな大人びて所作も無理なく旨くなり、自分の意志・コトバを機関銃のように放ち、
語れば語るほど隔てられる同級生たち
最後には銃もでて、批判から、否定、抹殺の手前まで行き着いた。
自分のコトバを自分で言い訳し、
森の奥、あこがれの地はもうなく、
逃げた青い鳥が、もどるはずの鳥かごを抱え
歌いだし、伴に踊ることで繋がりが戻って・・・・・・・・・
一番印象が深かったのは、
美邦さんが、踊ったときの弛緩
身体に投げ込むような衝動ではなく、弛緩
そんなに突っ張っりつづけなくてもいいよとでも、云っているようだった。
出発点に戻ったのか、日常を日常として過ごすことができるようになったのか?
「口からむりに出そうと思わなくても」伝え・分かち合うことは出来るのさ、
その場に伴にいることができれば・・・
ぶつかり合う踊りを、触れ合うという原初で、変えてゆけるかもしれない。
矢内原美邦舞台
舞台『3年2組』、生命の衝動・共振を伝える身体と言葉
舞台『青ノ鳥』:自然と身体とコトバの関わりの豊かさへ
舞台『さよなら』:命の衝動と身体のずれ
'07.03.03舞台『no direction』 nibroll 矢内原美邦 人間の方向について
矢内原三邦の毎日が万歳ブログ
nibroll
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「あっというまに大人びているんだね」 ’06.7『青の鳥』
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演技に載せられない衝動を、映像と音響で伝え
紗によって隔てた空間、映し出される映像、手書きのアニメーション
身体とコトバで衝動をつたえることとマイクでささやくことを重ね
文字という断片を載せた紙の吹雪
みんな大人びて所作も無理なく旨くなり、自分の意志・コトバを機関銃のように放ち、
語れば語るほど隔てられる同級生たち
最後には銃もでて、批判から、否定、抹殺の手前まで行き着いた。
自分のコトバを自分で言い訳し、
森の奥、あこがれの地はもうなく、
逃げた青い鳥が、もどるはずの鳥かごを抱え
歌いだし、伴に踊ることで繋がりが戻って・・・・・・・・・
一番印象が深かったのは、
美邦さんが、踊ったときの弛緩
身体に投げ込むような衝動ではなく、弛緩
そんなに突っ張っりつづけなくてもいいよとでも、云っているようだった。
出発点に戻ったのか、日常を日常として過ごすことができるようになったのか?
「口からむりに出そうと思わなくても」伝え・分かち合うことは出来るのさ、
その場に伴にいることができれば・・・
ぶつかり合う踊りを、触れ合うという原初で、変えてゆけるかもしれない。
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