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沖縄基地移転課題があぶりだす政治不能国民、ココにも事業仕分けを

2010-05-09 04:59:38 | 暮らし・街・環境
(今日は、つぶやきの気分)
沖縄基地移転課題では、各政党の立ち位置がよくわかってきた。
やっぱり、黙って俺たちに任せてくれればという既存権益グループも、無抵抗主義みたいに安全保障にたいする問いを放棄したようなグループも、「環境」や「平和」を神格化して、自分の立場を守ろうとする庶民の気持ちも、伝わってくる。
しかし、「県外へ」「うちの県はいやだ」ということは、「黒船よ帰れ」といっているようなこと。それなら幕藩時代のように、自給経済に戻るのか?他方で、観光だと資産を外からほしがり、国際化だ、「中国市場が欲しい」という発想は、いいとこ取り。自然を守りたいのなら、人を呼ぶどころか、島を退去すればいい。
東シナ海、中国艦隊の拡張にたいして、自衛艦が、海洋・海底資源開発のつばぜり合いを支えきれるのか?海上保安庁だけで、台湾/韓国との漁業海域を守れるのか?核のバランスという背景から、現場での実行力まで、国として守るべきことがあるかどうか、不問に伏しているのは、この戦後後遺症の一つだろう。安全も環境も産業も相対的なことで、結果としてのバランスが保て、持続してゆけるかが重要だ。「語られない事」による「空気」づくりは、もう期限切れ。
 事業仕分けの良さは、とにもかくにも、情報と討議を公開し始めたことだ。

<2010年4月20日行政刷新事業仕分けA会場>
なぜ、米軍基地移転問題を、様々な要素:利害・被害・権益などを洗い出して、安全保障と地勢的な情況と現地の経済・生活負担へと相対的な課題にしてゆかないのか?
「環境」とか「平和」とか「米軍基地反対」とか、絶対化したコトバが連呼され自閉しているのを助長するのは、勘弁してほしい。(TVでは、若者の’いじめないで欲しい’という発言が取り上げられて、感情を煽っていた。)

これが、マスメデイアの高度な「空気」づくりによる政治(前記事参照)だというなら、政治不信/政治不能を招くマスメデイアへの依存は減るだろう。軸を失った’つぶやき’こそ、市場社会の流動化に拍車をかける。市場社会は、上下が激しいほど差益を蓄えることができる。スキャンダラスな流動化こそ、マスメデイアの好むもの。私も、TV/ネットのこちら側で、米軍基地が来ない側だと信じてネタにしているし、そろそろ飽きてきた。飽きた頃にコトが決まっていたと気がつくのだろうが。

(こんな長いのは、つぶやきにはならない、やっぱり独り言)


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