モノと心の独り言

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Live2Dの身振りに’萌え’た

2010-05-11 22:20:18 | コミュニケーション-メディア
5月10日、XSHIBUYAのMLに誘われて、
ジパングアーティスト協会の初回イベント
「・・・ソーシャル /スマートフォンアプリセミナー」で、Live2D を知った。
世の中3Dを、大騒ぎしているのだけど、
あの「実物に近ければリアル→立体に近ければリアル→高精細ならリアル→→・・・」というリアルになじめなかった。
写真の画像処理からの描画や、ポリゴンなどの立体モデルからの3Dは、精細にはなってきたし、動きもスムーズではある。
しかし、あくまで良くできているということで、実物のコピーのように実感が伴わない。特に、人間の表現には、満足できない。手書きのコミックやアニメのほうが実感できていた。しかし、2Dから見られる向きを自由に動かす表現の工数は膨大だ。そこを、プログラムを交えて解決したところが、このLive2Dのすごさ。

動かない人自身の二つの目の視差で、相手の所作の見えがかりて認知している立体感と、見る人の視点/位置か対象を回転させて動かして、立体であると見せられるのと、こんなに違うことに気付く。透視図に影を入れて、反射光・移り込みなどを合成してゆく立体表現は、あくまでモノの物理的な結果だ。
見る人の意志と視線と表現が、線や色に込められている。からの表現を表現してくれていた。
和紙・墨・筆による描画と文字は、版木に彫られて浮世絵となって、江戸時代庶民のものになった。そして、描き手の身体が3次元に動き、その勢い・流れが、身体・腕・手・筆・和紙に墨の軌跡となって残った痕を、描き手の感情と、読み手の志向と合わせて感じてきた。その筆の勢い・流れをくみ取ろうとするときに、過剰な表現は妨げになる。
XSHIBUYA:世話人の、佐藤豊彦さんが語るように、3Dのつるっとした感覚が、どうもなじめないのも同じ。

透視図を書かせた欲望が、写真で物理科学的に実現し、写真発明以後も、写真自体が切り開いた感性とともに、発展してきた。
歴史を振り返ると、オランダのモノを平明に観る感覚は、風景/生活絵画のブリューゲルで見受けられる。北欧のルネッサンスは、解剖図/透視図などの対象自体の写しから描写の原理へと向かう。丁度、キリスト教が聖書自体へと向かったように。そして対象から移される光と陰/色彩の表現は、レンブラントから、ブルーゲルへ。さらに、写真の発明/発展とともに、絵画は、理想の世界を写し取ることから、感覚の表現へ、印象派から後期印象派へと、文字どおり、弁証法的に発展し、現代アートへの転換点、デュシャンに至る。江戸時代、オランダの図鑑から江戸の写実は発展していたのではないか?線描のリアルを追求すると浮世絵のデフォルメにゆきあたり、欧州へと渡り、アールヌーボーに流れ込む。

立体の物理的な表現は、3D座標による透視図による。透視図の焦点は、カメラレンズのように1点。しかし、絵画は、多くの焦点を使い重ねてリアルを表現してきた。
ルネッサンスでは神の視点・焦点と、人の視点・焦点など、複数に書き分けられてきた。
人の感性からも、人の目は左右の二眼だから、視差により立体感を表現することが、まず第一歩だが、その視差感だけでは終わらない。
モノの輪郭を表す線描とは、人間の認知の表現である。輪郭線が存在するわけではない。写真処理の輪郭では過剰すぎる。毛筆/墨/和紙による書道の線は、身体の勢いが純化され表現されたもの。毛筆による線描と彩色、その原画を木版により量産し、線描と色彩の綾を、庶民は浮世絵で直感的に受け入れた。日本のコミックやアニメの表現の繊細さは、その伝統の延長上の情況に生まれた。物理座標による透視図の延長上のポリゴンや科学的な画像処理に置き換えきれないものだというのは、コミックがプロダクションシステムを取り、量産されることによって、記号化されてゆく過程でリアリティが失われることでわかる。
個人的な認知力と想像力が身体化され共有されるには、物理的な原理ばかりでなく、社会的な積み重ねが必要だ。アフォーダンスとは、アフォードする対象とアフォードされる主体との社会的な情況なのだ。人は、胎内にいるときから母親が置かれる社会的な状況に晒される。感性は、その外界との応答のなかでそだってくる故に、誰もゼロから始めることはない。一人一人の感性が、複雑系の社会の経過として、個体・親しい環境・地域社会・国や言語・信仰など多層な応答の様式の上で変化しつづけてきた。

その日本文化の系譜を、このプログラム化は、引き継いでいる。
デモの女性のちょっとした身振りにこそ、’萌え’られるのは、私だけでないだろう。
しかし、様々な雑音・騒音のような刺激、疑似五感すべてを動員する世界市場商品の流れに身を晒しつづけることにより、より刺激の消費者となってゆくことにも、気づいている。




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