モノと心の独り言

コミュニケーション/メディア/コミュニティ ココロの建築家になりたいと・・・ 

皆が郵便配達人

2004-10-27 05:33:35 | コミュニケーション-メディア
(知人に、東浩紀氏の「存在論的、郵便的」を薦められて、郵便的を考えた・・・
 横繋ぎのメディア論、縦繋ぎによる脱構築は未消化だけど、切り口の新鮮さは楽しく、資源が重ならないところは分からない。)

モノを交換する取引用語
戦いを進める軍事用語
心を治める精神用語

言葉は、身分けコト分け、いろいろと
分裂してきたけれど、
その言葉を器用に使い分けようとか、
繫ぎ合おうとか、
言葉、だけで、共感してゆこうというのは、
そろそろ、終わり

もう、それぞれの場を映し出す映像も、
身体の奥にささやく声も、
鼓動や体温を伝えるセンサーも、
個人のメディアとして使われるような時代がきたんだから。

郵便を送り、受け取るのではなく、
自分が動き、その場の出来事の一つとしての、
メッセージになるのかな、
皆が郵便配達人

15秒のCMに、ニュース、ドラマ、映画、音響
新聞・雑誌の写真や文字、コミック、
目が覚めればいつも、メッセージの中にいて、

私自身もメッセージ
大切な人へのメッセージ
メディアにのせてもいいし、
必要なところには、身体を運んでゆくのもいい。

「*****!」
「今、どこ?」
「     」 
「すぐ行く!」
「     」
「駅に着いたら電話するから、 近くに居て」
「     」
「じゃ!」

ユビキタス社会とは、自分が動く社会なのでしょう、
一番必要とされるところへ。

そして、現場での共通の関心が
身体の問題なら、食や街や環境のこととつながって
感性の問題なら、デザインや音や言葉が積み重なるのでしょう。
また、関係自体が課題なら、
感情から組織・社会のことになるのでしょう。

対象を共通するところで、対象を媒介として関係が重なってゆく社会、
言葉による国家は崩れ、社会条件で関係する毎の集まりが
重層的に催されて行くのでしょうか?

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