<全体の印象>
『スカイキャプテン』の全体の印象は、
監督 K.コンラン、映画の歴史の中で育った少年の夢の世界、
一人でコツコツとつくっていた映画を原点に、
ブルースクリーンを活用し、
個人的な思いの深い映像がピュアに編成された、
手触り感のある映像でした。
飛行機、ロボット、秘密の基地、空の要塞、ロケット・・・少年のオモチャ
『海底二万マイル』、『カリガリ博士・・・・』、
近くではサンダーバードまでの世界で、米国と英国の同盟、(ここはイラク沖なのか?)
ノアの箱舟から、ロシアの遺伝子による第3世界幻想、
第2次大戦の戦闘機のエース・パイロットとマンハッタンの女性記者との恋、
レトロなデザインに溢れだす現代のパロディー
画面は、
テクニ・カラーをモノトーンにしたような、
おぼろさに暗い画面。
細かな表現を薄暗さの中に押さえ込み、迷宮の中に断片が浮かびあがるように、
想像力をかきたてて、身体性を増す映像は、フィルム・ノワールの系譜、
『ブレード・ランナー』、『エイリアン 1』の薄暗さと繫がる。
この映画のキャラクターは、
何気ない強さのヒーロー、
いたずらゴコロのある芯の強い女、
シャイで完璧な技術者、
残されたプログラムとロボット、
会話の基調はコメディー、展開はコミック、
ためらいのない映像のテンポは、ジェットコースター・ムービーより一コマ速く、
そして、最後は、007ばりの落ちがある
そんな、そんな、もりだくさんが、
”プライベート・ピュア”な映画へのオマージュとして、
映画をつくることが、生きることのようだ。
そして、『スチーム・ボーイ』を、思い出してしまった。
大友克洋は、コミックからアニメへのプロセスを登りきった感触がする。
『AKIRA』では、個人的な衝動のぶつけ何処を探っていたような映像が、
『スチーム・ボーイ』は、”おじいちゃんの”スチームボールを守る少年の姿を通じ、
近代技術の夢を、戦争の時代、資本市場の時代を超えて持ち出そうとする、
社会的なメッセージへと纏まっていたようだ。
機械は、
人間の手足の延長として実感できる技術の象徴かもしれない。
そのメカニズムに感動し、あこがれるのは、多くの少年の想い。
電子の時代から見れば、熱の時代・蒸気機関は、レトロとして、
息づかいと温度をともなった肌触りをもっている。
画面の暗さは、攻殻機動隊『INOCENT』の空気感のある紗から闇へと繫がるが、
この『スチーム・ボーイ』では、まだ明度としての暗さに止まり、
セル画のフラットさの範囲内だ。
『スチーム・ボーイ』は、初めから映画という社会的なメディアとしてつくられた、
物語として、密度の高いディティールをもっている。
<メディアとしての コミック・アニメ・映画>
コミック 『AKIRA』がもっていた、あの衝動の強さが
アニメーションとなって、視点を社会的な俯瞰へと上げてしまったように、
コミック『攻殻機動隊・GOAST IN THE SHELL』も、
アニメ化されることにより、素子も体温を失った。
忘れられないのが、少年の夢の変質を感じさせてくれた
『エヴァンゲリオン』。
機械の痛さすら感じさせた映像は、忘れられない。
”バカボン星のオオジイさん”は、妄想が止まらない。
<バカボンの叔父>
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『スカイキャプテン』の全体の印象は、
監督 K.コンラン、映画の歴史の中で育った少年の夢の世界、
一人でコツコツとつくっていた映画を原点に、
ブルースクリーンを活用し、
個人的な思いの深い映像がピュアに編成された、
手触り感のある映像でした。
飛行機、ロボット、秘密の基地、空の要塞、ロケット・・・少年のオモチャ
『海底二万マイル』、『カリガリ博士・・・・』、
近くではサンダーバードまでの世界で、米国と英国の同盟、(ここはイラク沖なのか?)
ノアの箱舟から、ロシアの遺伝子による第3世界幻想、
第2次大戦の戦闘機のエース・パイロットとマンハッタンの女性記者との恋、
レトロなデザインに溢れだす現代のパロディー
画面は、
テクニ・カラーをモノトーンにしたような、
おぼろさに暗い画面。
細かな表現を薄暗さの中に押さえ込み、迷宮の中に断片が浮かびあがるように、
想像力をかきたてて、身体性を増す映像は、フィルム・ノワールの系譜、
『ブレード・ランナー』、『エイリアン 1』の薄暗さと繫がる。
この映画のキャラクターは、
何気ない強さのヒーロー、
いたずらゴコロのある芯の強い女、
シャイで完璧な技術者、
残されたプログラムとロボット、
会話の基調はコメディー、展開はコミック、
ためらいのない映像のテンポは、ジェットコースター・ムービーより一コマ速く、
そして、最後は、007ばりの落ちがある
そんな、そんな、もりだくさんが、
”プライベート・ピュア”な映画へのオマージュとして、
映画をつくることが、生きることのようだ。
そして、『スチーム・ボーイ』を、思い出してしまった。
大友克洋は、コミックからアニメへのプロセスを登りきった感触がする。
『AKIRA』では、個人的な衝動のぶつけ何処を探っていたような映像が、
『スチーム・ボーイ』は、”おじいちゃんの”スチームボールを守る少年の姿を通じ、
近代技術の夢を、戦争の時代、資本市場の時代を超えて持ち出そうとする、
社会的なメッセージへと纏まっていたようだ。
機械は、
人間の手足の延長として実感できる技術の象徴かもしれない。
そのメカニズムに感動し、あこがれるのは、多くの少年の想い。
電子の時代から見れば、熱の時代・蒸気機関は、レトロとして、
息づかいと温度をともなった肌触りをもっている。
画面の暗さは、攻殻機動隊『INOCENT』の空気感のある紗から闇へと繫がるが、
この『スチーム・ボーイ』では、まだ明度としての暗さに止まり、
セル画のフラットさの範囲内だ。
『スチーム・ボーイ』は、初めから映画という社会的なメディアとしてつくられた、
物語として、密度の高いディティールをもっている。
<メディアとしての コミック・アニメ・映画>
コミック 『AKIRA』がもっていた、あの衝動の強さが
アニメーションとなって、視点を社会的な俯瞰へと上げてしまったように、
コミック『攻殻機動隊・GOAST IN THE SHELL』も、
アニメ化されることにより、素子も体温を失った。
忘れられないのが、少年の夢の変質を感じさせてくれた
『エヴァンゲリオン』。
機械の痛さすら感じさせた映像は、忘れられない。
”バカボン星のオオジイさん”は、妄想が止まらない。
<バカボンの叔父>
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それなら、アップルシードもいいかも。
これからも、よろしくお願いします。
士郎正宗には、『攻殻機動隊:GHOST IN THE CHELL』のコミックと映画でハマッテイマス。
ここでは、素子とバトーのキャラが・・・
この映画は、監督自身の夢の世界なのですね。そういう側面を全く知らないので、これでまたひとつ勉強になってような気がしました。
私も攻殻は大好き人間です。
どうぞ、よろしくお願いします。
コンラン監督の対談での話で、この映画は、一人でつくると40年かかるのがわかって、組織化してつくったとのことです。
映画は、企画から編集・配給まで、膨大な人の意志が集まってできているのでしょが、この映画は、監督個人の映画体験を表現しているように感じるのです。
攻殻は、劇場版から、TV版の2nd GIG Vol.13まで見てしまいました。『イノセント』の次の劇場板はないのでしょうか?
本当は『スチームボーイ』について何かコメントしようと思っていたのですが、『エヴァンゲリオン』に目が止まってしまい、そちらについて書きたくなってしまいました。
少年が戦争(使徒との戦いを含む)の中で現実に触れ、夢を変質させてしまったというアニメは『ガンダム』をはじめ多くありますが、『エヴァンゲリオン』は夢を変質させたというだけでは言葉が足りないほどの衝撃を与えてくれた作品でした。
それは一人の人間の”心を壊した”という感じで、エヴァと神経接続で繋がっていることによりシンジたちが体で感じる痛みがそのまま心の痛みへとシンクロしたような恐ろしさを感じました。
シンジもアスカもミサトさんも心に傷を負っているのに、さらなる追い討ちをかけるような痛みの連続に目を背けたくなるような嫌悪感と観ることを止められない惹きつけられる何かを同時に感じさせられ、すごいアニメが登場したなぁと思ったものです。(それも夕方の子供向け枠で)
エヴァについて私も記事を書こうかなと思ってしまいました。
バカボンの叔父さんはすでに記事にしていらっしゃるのでしょうか?
バカボンの叔父さんがエヴァをどう記事になさるのかとても読んでみたくなりました。
横レスでごめんなさい。
押井監督の動きを見る限り、『イノセンス』の続編はまだ動き始めてもいないようです。
逆にTV版は映画化の噂、3rdシーズン製作の噂が絶えませんね。
バカボンの叔父さんは2ndの最終回のタチコマたちの行動に涙しましたか?
タチコマたちは、キカイに記憶があり、複数化し、融合しながら個性を維持している状態という意味で、Stand Alone Complex の一方の究極です。私は、『ブレードランナー』のアンドロイドたちに涙するように、やはり涙しました。
横レス 大好き!